うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

アレクサンダー・テクニークと、抑うつ的態勢


 今日は休日を利用して、2か月ぶりに名古屋でアレクサンダー・テクニークを受けて来ました。
 毎回、様子を聞いてくれ何をするか、聞いて頂けるのですが、今回は話していく中で、元々酷い首と肩のこりの改善と、言語障がいの改善を目的として来ていたことを思い出し、こりの方ばかりに神経がいってしまっていたので、今回からは言語の方を見て頂くようにしていただきました。
 精神医学ではありませんが、言葉の出が悪くなったのは、母親が自死する少し前の事で、本格的に(笑)出にくくなったのは、思春期にさしかかった頃だと思い出しました。アレクサンダー・テクニークも指導していただいていると、精神医学的な面が多々あり、自分の無駄なようにも思える読書も少しは足しになっているなと実感しました(笑)
 退行された方々も、退行していると思われる時期のことをアセスメントすれば問題解決することが多い様なので、自分にも当てはめながら、まずは先生の言われるように、全身の力が抜けていることを確認しながら、ウイスパーダ・アーという呼吸法?をしながら、声帯を使い、自分が言いにくい音を出すと、簡単に出せたので、楽になってきた肩こりと同じように、少しは未来が見えたように感じました。
 毎日の生活の中でどう行っていくかが課題ですが、頑張ってみようと思います。竹内敏晴先生が本に書かれていたことと同じような事を先生が仰っていたので、洋の東西は関係なく同じ様な実践がされているんだとも思いました。

 行きの電車のかなでは、半分寝ていましたが(笑)帰りの電車の中ではしっかり『メラニー・クライン入門』を読んで来ました。
 彼女の真骨頂の抑うつ的態勢の部分を何度も読み返しました。


メラニー・クライン入門』
6,抑うつ的態勢
 〜乳児の発達にとって望ましい状況のもとでは、母親が一度いなくなってもまた再びあらわれるということや、母親が養護し、関心を払っていることなどによって、乳児が自分の破壊的な衝動は万能的な力をもっていると思い込んでいるのが徐々に修正される。また、これと同じように乳児が、魔術的な修復をこころみてもうまくいかないことによって、自分の愛情が万能的な力をもっていると思い込んでいる傾向が減少していく。乳児は、だんだんに自分の憎しみや愛情が、ともに限界をもっているということがわかるようになり、さらに、自我が成長・発達するにつれて乳児は、ますますそれらの衝動が外界の現実に対して実際にどのように影響を与えているものかがわかるようになるのである。
 同時に、抑うつ的態勢が発展し、またそれを十分に体験して通過していくという過程を通じて、自我は次第に強くなっていく。この自我の強化は成長にもよっており、また良い対象を同化することにもよっている。また、この良い対象は自我にもまた超自我にも取り入れられるものである。
 発達の過程がこの段階に達すると、現実に対する乳児の関係が確立する。精神医学的な障害の固着点は、妄想的―分裂的態勢、それと抑うつ的態勢のはじめの時期にある。これら発達過程における早期の固着点への退行が起こると、現実的検討機能が失われ、その人は精神病的になる。もしも、抑うつ的態勢に到達し、少なくとも部分的にせよそれを通過した場合には、その人がその後の発達過程で出会う障害は、精神病的なものにはならず、神経症的な性質のものになる。
 抑うつ的態勢が十分に体験されてだんだんそれを通過していくにつれて、対象との関係全体が変化する。幼児は、人びとを、自分とは別個の区別された個体として、愛したり尊敬したりする能力を獲得する。乳児は、自分の衝動を自分のものとして認め、またそれらについては自分に責任があるのだとという感じをもち、さらに罪悪感に耐えることもできるようになる。乳児は自分の対象に対して思いやりの念を抱くことができるという新しい能力を身につけ、それらに助けられて自分の衝動をコントロールすることを少しずつ学んでいく。〜

抑うつ的態勢において体験される喪の苦しみ、および内的・外的な愛情対象を再獲得せんとして生ずる償いの衝動は、創造性や昇華の基礎となる。これらの償いの作業は、対象および自己の両方に対して行われるものである。それらの作業は、一部は対象に対する配慮や罪悪感、および、その対象を回復させて保存して、永遠の生命を与えたいという願望によっておこなわれるものであり、また、一部は自己保存の欲求によって行われるものである。この自己保存の欲求は、この段階では前よりいっそう現実的な方向性をもってきている。乳児は自分が失った対象を再びつくり出したいと願い、ひき裂かれてばらばらになったものをつなぎ合わせ、破壊されたものを再建し、再創造し、つくり出したいという衝動をもつようになる。それと同時に、自分の対象を助けたいという願望があるために、乳児は、自分の衝動が破壊的なものとして感じられるときには、それらの衝動を昇華するようにもなる。このように、乳児の対象に対する配慮は、乳児の本能がめざす目標を変化させ、本能衝動の抑止をもたらす。さらに、自我の組織化がもっとすすんで、投影が弱化すると、抑圧が分裂にとってかわるようになる。
精神病的な諸機制は、神経症的な諸機制つまり、制止、抑圧、置きかえに少しずつ道をゆずっていく。〜

(心理学に対するFreudの貢献のうちでもっとも大きなもののひとつは、昇華は、本能がその目標を達成するのをあきらめるのにうまく成功した結果であるということを、発見したことである。ここで、私は、そのようなあきらめに成功するには、喪mourningの過程を通ってはじめて可能になるのだということを示唆したい。本能の目標あるいは対象を、あきらめて放棄することは、ひとつの反復なのであり、また同時に以前乳房をあきらめて放棄したことの再現でもある。
 この本能の目標や対象の放棄ということは、放棄される対象が喪失とそれにつづく内的な復活の過程を経てその結果、自我の中に同化され得る場合にはうまく成功することができる、それは最初の状況の場合でも同じことである。そのように同化された対象は、自我の中のひとつの象徴になるのである。対象がもつ諸側面のすべて、成長の過程であきらめて放棄せねばならなかった諸状況のすべてが、象徴形成をうむのである。 
 この考え方によると、象徴形成は対象喪失の結果であり、苦痛と喪の作業全体を含んだ創造的な仕事なのである。
 心的現実が体験されて、外的現実と区別されている場合には、象徴は対象から区別されており、それは、自己が創り出し、自己が自由に使うことができるものであると感じられている。)