うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

うたたねご飯と、懐かしいオルガン・レコードプレイヤーと、一服と、藤木先生


 先ほど、夜勤者から(親分ですが(笑))写メで、今晩のうたたねご飯が送られてきました!
 調理師の世話人さんが、ひな祭り(実際は明日ですが、日中の施設と被るので)をイメージしたちらしずしを作ってくれたようです。
 うたたねの職員さん(女性)は料理が得意な方が多く、夜勤や遅番時は美味しく頂いています。利用者さんの中には、胃袋を掴まれた?方がおられ、担当者会議などで、まずごはんが美味しいし、一番の楽しみだと言われる方がおられます。気持ちは凄く分かります!



 先日、名古屋でテディベア作家のHさんから頂いたオルガンです。
まずはカーグで皆さんに描いて頂いてから、活用方法を考えると親分が言っていました。雰囲気がありますね!

 こちらも、皆さんに描いて頂いてから、活用方法を考えるそうですが、実際にレコードがかけられるそうです。
 若い時分に、ブルースとR&Bのレコードを沢山集めていましたが、京都を出る時に、全部弟にあげたので一枚も持っていません。
 一番ギターを練習していた高校時代、自宅にはオーディオ機器が全くなく、アニキがラジカセを買ってもらったので、アニキが居ないときにFMを聴きまくり、好きな曲をカセットテープに録音して、テープが伸びるまで繰り返し聴いていた覚えと、貧困家庭だった(おやじが働かず、祖母に面倒を見てもらっていました(笑))ので、同級生がコンポを買ってもらって、良い音でレコードを聴いているのが羨ましかったです。継母に無理を言って、当時4,000円くらいだった、プラスチック製のレコードプレイヤーを買ってもらい(本当に感謝しました)ギターのコピーをしたのも懐かしいです。ジミヘンやクラプトン、BBキングを主に耳コピーしていました。レコードを貸してほしいと言ってくる同級生が何人かいましたが、安物のプレイヤーで尚且つ、すり減るほど聴いていたので、音が酷かったとの感想を(クレーム)よく頂きました(笑)
 貧乏だった悔しさが、音楽にのめり込ませたのかも知れませんね。
周囲には、自分より弾ける人間はあまりいませんでした(エラそう(笑))
 そういえば、自分をBBキングに出会わせてくれた、松原正樹氏が先日亡くなったとニュースでやっていました。スタジオミュージシャンユーミンなど、有名な方々のレコーディングに参加されていて、印象的なギターを弾かれていますが、自分は松原みきの真夜中のドアのエンディングの歌と絡んだギターが一番好きで、今でも聴いたり、弾いたりさせて頂いています。
 今度、レコードを売っている店をみつけたら一枚買ってみようと思って居ます。ラジオも聴ける(NHK限定とのことでしたが)様です!
 まだまだ沢山いただきましたので、少しずつ紹介させて頂きます。


 自分もまだ行けていませんが、アトリエ・カーグ展が始まっています。親分の写真ですが、一枚だけアップさせて頂きます。



 夜勤明けで、愛知県に提出する書類を作成し、自宅に戻り仮眠して、夕方の学齢児さんの入浴の引継ぎに渥美まで行って来ました。
 現場に入らせて頂くと、嫌なことも忘れる事が出来るので、皆さんに生かされているのを感じる事が出来、一日一日を大切に生きたいと思えることも出来ます。

 2月が忙しすぎたので、3月は少し楽になりましたが、書類は3月の方が多いですね、先程、入浴介助から戻ったので、まずは親分のお茶碗を拝借して(笑)サークルKの3つで103円の大福もち(今日はヨモギ!)買って来てお薄を点てました。
 気を引き締めるために、少しだけ本気の飾り(笑)で心を落ち着かせました。
 夕食後、給与計算の残りを片付けるぞ!

 明日は、自分の受診日なので、待ち時間本が沢山読めます。


 藤木先生も1月22日に亡くなっていました。
親分はお参りに行かなアカンやろ!先生に沢山の学びを頂いたのに何かせんといかんのと違うか?とか言っていましたが。
 その教え・学びを若い世代に伝えることが、藤木先生への恩返しになると思いますので、藤木先生のようには出来ませんが、自分なりに社会に貢献出来たらと思って居ます。
 本当にどうしようもなかった(今もか?)青年に貴重なお時間を割いて下さり、沢山の学びを頂きありがとうございました。
 岐阜の友人に藤木先生の『灰色の断層』を送った際に、本の最後に現住所が書かれていたので、思わず手紙を書かせて頂き、2回も返信して下さった手紙は、死ぬまで大事にさせて頂きます。覚えていて下さっただけでも嬉しかったのですが。
 本当にありがとうございました!