うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

アトリエ・カーグ展と、私たちの生きている場所

 明日から、豊橋商工信用組合田原支店で、アトリエ・カーグ展が始まります。
 今回は、おっちゃんは忙しく、親分一人で準備・展示を行いました。
看板?だけ見せて頂けたので、看板だけアップさせて頂きます。
 お時間があれば、是非、ご高覧の程、宜しくお願い致します。


 先日のすろーじゃむで、刺繍枠を使った様で、やりかけの物がありました。楽しそうですね!


 怒涛のように過ぎ去った?1月と2月........。
色々な事や、重要なカンファレンスが目の前に迫っていますが、まずは心を落ち着けてと、サークルkで3つで103円の大福を買って来て(笑)
一服させて頂きました。
 帯は親分が和紙の造形作家さん(海外でも認められておられる著名な方です)の下で働いていた時に、和紙を染めた物(経糸は勿論糸ですが)を織り込んだ帯です。
 大事にしたら良いのに、物作りに使おうと思って出したとのことで、床に放っていました。

『遊ぶことと現実』
第8章 私たちの生きている場所(ウイニコット)
 〜こうして、二つの場所があることになる。個人の内側と、外側である。しかし、それですべてなのだろうか?
 人間の生を考えるとき、行動の側面から、または条件反射や条件づけの側面から表層的に考えることを好む人たちがいる。ここから行動療法と呼ばれるのもが出てくる。しかし、私たちの大部分は、好むと好まざるとにかかわらず無意識に動機づけられている個々人の、観察可能な外交的生活や行動だけに限局して考えることには飽き足らなく思っている。また、それとは対照的に「内的な」生活を強調する人たちがいる。その人たちは、神秘的な体験に比べれば、経済の影響や飢餓さえ必ずしも重要ではないと考えている。この後者に属する人たちにとって、無限というのは自己の中心にあるものだが、一方、外的現実の側面から考える行動主義者にとって、無限といえば、月を超えて星々に至るとか、時の始まりと終わりとか、時には始まりも終わりもないとかいった話になる。
 私は、このような両極端の間に分け入ってみたいと思う。もし私たちが自分たちの生をよくよく見つめてみれば、私たちは大部分の時間を、行動でもなく、瞑想でもなく、別のどこかで過ごしていることにおそらく気づくだろう。私は「どこで?」と問い、そしてひとつの答えを提示しようと試みる。




 ここから、中間領域や可能性空間に入って行き第8章が終わります。
障がいをお持ちの方々の支援は、内的、外的とこれから読ませて頂く中間領域全体を見させていただきながらじゃないと、難しいと思われますので、早く読みたいですが、読書だけに時間が取れないので(笑)木曜日の自分の受診の待ち時間に読ませて頂こうと楽しみにしています。

 この前、給与計算させて頂いたと思ったらまたその時期が.......。
本当に時が過ぎるのが早いですね!
 書類の山をなんとかしないといけません.......。

 明日は久しぶりに現場に入れます。2月は現場にあまり入れなかったので、こちらも楽しみにしています。忘れられてないかな?
副理事長さんも碧南から来てくれ、昼食をご一緒させて頂きながら、色々な案件報告と相談をさせて頂こうと思って居ます。