うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

大須プペットさんと、常識としての「小文字の精神療法」


 テディベア作家のHさんのアトリエが引っ越ししたので、要らない物を(素敵な物ばかりでしたが)頂きに、一日明けて又、名古屋に行って来ました。旧アトリエのビルに車を横付けして、荷物を載せ込み近くの駐車場に車を置いてから、新しいアトリエにお邪魔しました。
 その日は、自分の姿勢矯正(性格も!)の為のアレクサンダーテクニーク受講の為のひでもあり、その日にさせて頂きました。


Pinterestに出て来そうなものも沢山ありましたが、やっぱり

 目をひくのは、この人形。外国製だと思っていたら、タカラトミーが作っているそうですね。おっさんが知っていたら怖いけど(笑)
 体はリカちゃんだそうです!
ビッグアイズの映画に出て来る絵の様な人形です。
アレクサンダーテクニークまで時間があったので、お茶を頂きながらちょっと遊ばせて頂きました。テーマは『お友達が来るまで!』(笑)
セリフはみなさんが勝手に考えて下さいね(笑)






 おっさんが夢中になってしまったので、皆さんに笑われました(笑)
皆さんご自分の人形を持って来て、撮影して帰られるようです。
 因みにこの小さな人形は旧東ドイツ製との事でした。
人形の世界も奥が深いですね。


 アレクサンダーテクニークが終ったら、外は真っ暗。
テレビ塔がきれかったです。
 先生曰く、まだ無駄な力が入っているとのことでした。
ウイスパーダーアーという呼吸法?をもう一度指導して頂きましたが、息を吐くのは何となくエンドゲイニングしないでしているように感じられますが、吸うときに、自分でスーッと吸わないと死にそうになります(笑)まだまだ修行が足りません。
 2月は、何故毎年こんなに色々あって忙しいのでしょうか?

Hさんとお話しさせて頂いていると又、中井久夫の臨床作法の中の文章を思い出しました。Hさんの旺盛な消費活動はこれで認められそうですね!



常識としての「小文字の精神療法」
情況に対する理解 

〜ところで患者の状況や生活を思いやる時、経済的問題は無視できない要因である。私がひきこもり患者(に限らないが)を診る際、家庭には原則として「小遣いは月決めで一定額をわたしてください」と依頼することにしているが、この指針もオリジナルは中井による示唆だ。
 私はしばしば「社会参加の第一歩は、“就労”ではなく“消費”」であることを強調するが、これは中井の「貨幣取得(生産)活動よりも貨幣消費(購買、贈与)活動を先行させるべきである」「消費活動は生産活動よりも一般に密度の高いコミュニケーション活動ということができる」といった言葉を私なりに言い換えたものだ。 また、なぜ一定額にするべきかについては、次のような言葉が背景にある。

 「小消費の資金は、おそらく治療には薬物と同程度に必要であり、また、一定額を可処分的なものとして供給されてはじめて価値がある。必要な時に使途を申し出て与えられることは、患者を子ども扱いにすることで、多分、患者が子どものようになる確率を増大するだろう」

 置かれた状況を治療の道具に見立てるという意味では、金銭はまさしく「薬」であろう。こうした「薬」には、ほかにも「ときぐすり」や「ひとぐすり」がある。ただし後者については「人間を薬、つまり手段にすることは良いことではないでしょうね」と釘を刺すことも中井は忘れない。なんという周到さであろうか。  (斉藤 環)




 高度な平凡性って難しいのでしょうか? 感覚的に?好きな言葉です。




高度な平凡性 精神科医を志してから、私は中井久夫に一貫して私淑してきた。
 私は中井がわが国の精神医学を「カルト化」(特定の理論が支配する状況)から守ってくれた恩人であると考えている。それは中井がいかなる原理主義姿勢からも距離をとりつつ、「高度な平凡性」を志向していたためであろう。
 なぜ中井はヒポクラテスの教えである「まず害をなさないこと」に繰り返し言及したか。精神科医こそが、意図せずして≪時にはナイーブな善意と誠実さから≫ ≪患者に「害をなす」ことの多い職業であるとの自覚ゆえでなかったか。
 私自身は患者理解に際しては精神分析のフレームに依拠することが多く、治療に際してはむしろ包摂的な作用を重視してきた。「理論は過激に、臨床は素朴に」がながらく私のスローガンだった。高度な平凡性を維持するためにこそ理論的な複雑性が不可欠であると考えたためだ。〜

あるいは、こんなやりとりがある。
「『先生、損得じゃありません。意地です。』などといいだしますと 『損得に戻って下さるまで、私は外野席でながめさせていただきます』と言うこともあるくらいです」

 実際に、ひきこもり事例などにおいて「意地」は大きなつまずきの石だだからといって「まあそう意地にならないで」といった常套句は無効どころか、場合によっては〝火に油″だったりする。ここでは「意地」と「損得」
という対比を際立たせ、「損得」の方が〝健康的″であることがさりげなく示唆されている。それでいて「そんなに意地を張るならもう知らん」とは言わない。「外野席から見守っている」という包摂的視線があるのだ。 (斉藤 環)



中井久夫の臨床作法』は本当に良い本です。
先日、図書館に行ったら新しく購入されていました。
 今、読ませて頂いているウィニコットも凄すぎて、読んでるだけで興奮してしまいます。(笑)