うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

遊ぶことと現実(ウィニコット)より

 名古屋行きの電車の中やホテルの部屋で、ウィニコットを読ませて頂いたら、これまた沢山学ばせて頂きました。
 その内、小さい脳は破裂するかも知れませんね(笑)
この年になると、形があるものよりも形がないものの方に心が動いてしまいますが、自分だけでしょうか? そう思い始めているときだから、心に響いた箇所なのでしょうか?


『遊ぶことと現実』
第4章遊ぶことー創造的活動と自己の探求
自己の探求
 〜自己の探求のなかで、その人は芸術的に価値のあるものを生み出してきたかもしれない。しかし、成功した芸術家で、世界的に評価されているが、探し求めている自己を見出すことに失敗している、という場合がある。作品がどんなに、美、技巧、感動という面で価値のあるものだとしても、肉体や心の産物から作り出されたものに、自己を本当に見出すことは出来ない。もし芸術家(どのような分野でも)が自己を探求しているとすれば、おそらく創造的に生きること全般の領域で、すでに何らかの失敗があるのだといえるだろう。できあがった創作物が、基底にある自己感の欠如を癒すことは決してない。〜ウィニコット


岡倉天心茶の本の中で、生きる事が芸術だと言っていましたね。



素晴らしい内容の研修でしたが、只一つ言わせて頂くと、日中の事ばかりでしたので、朝晩のこともやって欲しかったし、その方々には夜間と日中両方があっての生活だという考えにしたら、もっと困難事例が減るのではと思うこの頃です。偉そうですね(笑)

 強度行動障がい者支援者養成研修を受けていて、ホテルで読んだ下記の文章の文字が、鮮明に頭の中でずっと流れていました。




第5章 創造性とその諸起源
創造性の概念
〜後者のような場合について、創造性というものが完全に破壊されると考えるのは、おそらく間違っているだろう。しかし、家庭で極端な支配を受けていた人たちや、過酷な政治体制のゆえに生涯迫害されたり強制収容所で暮らしてきた人たちについて書かれたものを読むとき、真っ先に感じるのは、このような目に遭った人たちの中で、創造的なままでいられる人はごくわずかしかいない、ということである。こういった人たちは、いうまでもなく大変に苦しむことになる。〜ウィニコット



今日は、入院された方のカンファレンスが病院であり、その方の担当職員と一緒に行かせて頂きましたが、担当職員のスピーチが完璧だったのでびっくりしたと同時に、自分はそろそろ第一線を降りてもいいのかな?
とも思いました。真剣に利用者さんに向かわれてこられたので、第二次語的な発言になったんだと思われます。
 病院の職員さん達もワーカーさん中心に、本当に丁寧な支援・看護をしていただいていて、安心して帰ることが出来ました。

 この地方では(全国的なのかも)医療と福祉の連携が上手く出来ていなくて、高齢者チームの方は、何度か会合が開かれているようですが、直ぐには改善出来ないようです。2025年問題が片付いたら、高齢者と障がいをお持ちの方々の福祉が統一出来るのでしょうか? どちらにしても官民挙げて、お金の生み方を真剣に(皆さん大変でしょうが)考えて行かないといけませんね。




 名古屋行きの朝に並べて、気持ちを落ち着けました(笑)
五郎丸選手のように、ルーチン(ルーティーンと言わないとおやじくさいといわれますが.....)になってしまっています(笑)

 こちらは、大分前から素材を集めていた物を、カンファレンス前に生けて?みました(笑)