自分でも用意していなかった問いと、なごやん
夜勤明けですが、晴君との約束で黒田屋ラーメンを食べに行き、自分の受診までに時間が空いたので、アップしてみました。沢山話をして食べるラーメンはいつもより美味しかったです!
新幹線などでも仕事の話をしながら、中井久夫先生の本は読ませて頂いていました。
「第一次言語」と「第二次言語」はサリヴァンの『言語ではなく音声である』に繋がるところだとも思います。
先日、支援が難しい利用者さんに対しての声掛けで、サリヴァンのその考えが当てはまる事があったと、女性職員が話してくれました。
障がいをお持ちの方々の作品に心が奪われるのは、第二次言語的な作品が多いからでしょうか?
勿論、支援には両方の言語とも重要と思います。
この本も非常に勉強になり、是非読んで頂きたいと思っていますので、3日後には事務所に持って行きます。他にも線を引きたい場所が沢山ありましたし、分かり易かったです。
中井久夫の臨床作法
PARTⅡ 先生から学んだ臨床作法
自分でも用意していなかった問い 横田 泉
ベースチェンジ
〜この患者がなぜ入院期間のほとんどを退院要求についやしながらすぐに再入院になるのだろうという疑問が私の頭の中の中で堂々めぐりをしていた。そして答えとも自問自答ともつかぬつぶやきを繰り返していたとおもう。とにかく私はある時突然「君が退院したいのは君の病気がもう治らないと思っているからではないか」という問いを発した。自分でも用意してなかった問いであった。患者は感情をこめて「そうです」と答えた。「私があきらめていないのに、どうして君が先に投げてしまうのか」と私は言った。かなり強い語勢だったかと記憶する。患者は何も言わなかったが、私はこの「直球」を彼が受け止めたと思った。〜
制度化された言語と本質言語
オリジナルなことばとマニュアル化されたことばとして二つのことばの違いをあげたが、この点をもう少し詳しく考えてみよう。
言語学者の丸山圭三郎は、「第一次言語」と「第二次言語」。「制度化された言語」と「本質言語」などのことばで言語の二側面を挙げている。前者(第一次言語・制度化された言語)は、「擦りへった貨幣」のように、交換の仲立ち・コミュニケーションの道具としては役立つが、一方で私たちの日常の生活を支配し規制する。
ことばはヒトが作ったものであるにもかかわらず、ヒトが作ったはずのそのことばに規定された形でしか、私たちは物を見ることすらできない。制度化されたことば、沈殿したことばに囲まれて私たちは生きており、このようなことばを離れては、コミュニケーションはおろか思考も認識も困難である。個人の力で、言語の支配の外にでることは不可能である。しかし、ことばは本来そういうものだけではない。ことばの成り立ちにさかのぼればそこには常に、新しい価値、新しい意味の創造が伴っていたはずである。丸山の挙げた後者のことば(第二次言語・本質言語)は、そういうことばを示している。
本来は何のつながりもない星々をヒトがつなぎあわせて星座ができているように、あるいは本来は光の連続体である虹をヒトが七色に区切るように、ヒトは独自の切り取り方で世界を分節する。そして一旦そのような区切り方が成立してしまうと、その区切り方を離れて新たな区切り方を個人が独自に作ることはほとんど不可能である。ひとたび星座を知った人が、星座を知る以前の「ばらばらでつながりのない星」を見ることがもはやできないことを想像してみればよい。
この区切り方の強制性、支配力が第一次言語の持つ制度化であり、その区切り方を組み替えるような新たな価値体系をもたらすことばが本質言語・第二次言語である。そして、そもそも言語の本質は後者であり、それが使い古されて沈殿したものが、私たちが普段使っている第一次言語である。このような理解に立って、もう一度ベースチェンジを引き起こす力について考えてみよう。
「人の心に届くことば」「心に響くことば」「直球」「オリジナルなことば」・・・・・・・などと表現してきたベースチェンジを引き起こすことばは、すべて丸山のいう第二次言語である。それは、既成の価値を打ち破り、いわば星座を組みかえるような働きをする。このようなことばは、あらかじめ用意することはできない。新たであることこそが第二次言語である条件であるからである。
しかし、新たに誕生した第二次言語は、誕生とともにその第二次言語性を失う。二度目からは当初持っていた価値体系を組みかえるちからはなくなり、「使い古されて擦りへった貨幣」のように既成の言語体系に組み込まれる。こうして最初は第二次言語であったものも、すぐに第一次的言語になる。何回も通用する魔法のことばは絶対に存在しない。ベースチェンジを引き起こすことばは、オリジナルのことばとして練り上げられ、ある時突然不意に表現され、一度だけ価値を組み替え、消える。
何かを考える時に必要なのは、その軸だと思われますが、中井久夫先生は、統合失調症の方々を診られるときには、サリヴァンがベースにあるように、自分には何があるのか?を見つめ直していけたらと思って居ます。軸が無い方々と話をしていると、自分まで訳が分からなくなり、論点がずれてしまっているのはよくあることですね。
カンファレンスやスーパーバイズを受ける時、真剣に福祉に向き合ってこられた方の話には重みがありますし、この年になっても素直に聞く事が出来ます。
京都から帰って来た翌日、異常に甘い物が食べたくて(笑)コンビニに行ったら、なごやんしかなかったので、買ってきました。
なごやんは142kcalあり、ウオーキングで消費しようと思うと42分もかかるそうです......。食べなきゃよかった......。