うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

節分と、今日のすろーじゃむと、『中井久夫の臨床作法』より


 自宅の節分飾りを先日考えましたが、こちらはすっきりしすぎたので

 民族信仰的な(笑)こちらにしました。
今日から新年が始まると思い、気を引き締め直します!
椿の葉は年末からもっています。凄い生命力ですね!



 Kさんは珍しく淡い色の毛糸で、新たな作品作りを始められました!


 職員さん達は、色々試行錯誤しながら物作りしていました。
手が早く、他にも色々試作品を作っていましたし、畑の除草もしてくれていました。ニンニクに肥料をあげた方が良いとの事で、化成肥料をあげ、水もたっぷりあげてきました。

 途中、庭の椿を活けて?みたり

 節分の鬼に笑われそうですが、年末チャリティーの準備をしていたり
心の休憩をさせて頂きました!



学齢児さんの夕方の入浴のため、バスを待っている間、今日も中井先生の本を少しだけ読ませて頂きましたが、大変勉強になりました!

 明日、明後日と会議がありますが、明後日の資料がまだできていません.......。今から頑張ります!

 今日は午前中事務仕事や雑用に振り回されましたが(笑)花に助けて頂いた気分です。


中井久夫の臨床作法』PART1[座談会](前編)より中井先生の〝励磁力
 〜青木:最近の診断や治療の考え方は一般の内科、外科的な治療観というのでしょうか。要するに病気の症状を的確に見つけて、その症状を叩く、あるいは患部を外科的に切り取るのと同じように、精神症状をとっていくという発想が強いように思います。内科や外科と同じように、精神科も病気と闘う治療にシフトしているように思うのです。
 ただ基本的に「治療観」というのは、症状を叩くというものだけではありません。精神科医を長くやっていれば、症状があろうとなかろうと、その人の生活が少しでもよくなったり、楽しみができたり、生活に潤いが出たりといったことが、実は病気の勢いを弱めるには大切ということがわかってきます。「生活」に目を向けることが、治療として大切と思うようになります。
 先ほど山中先生がおっしゃった言葉と重なると思うのですが、精神科医の「専門性」というのは、どちらかというと病気を見つけて病気を叩くという技術ではなくて、病気の背景にあるその人の生きてきた人生や生活を思い描いて、それが少しでもよいものになっていくようにすると
、ぽろっと症状が取れる時もあるというような技術ではないかと思うのです。あるいは症状があっても、その人がその人らしく生きていければいいわけです。そういう意味での専門性が求められているのだと僕はおもうのです。
 今の治療は症状を捉えてやっつけて取ろうとする。その後、その人の人生がどうなっていくのか、生活がどうなっているかということを頭に描かずに、症状を取ることだけに専門性を見出していくことになると、これはちょっとまずいだろうと思って居ます。〜