パソコンに向かっていて、何かの拍子で水島広子先生のホームページに入り込んでしまい、色々読ませて頂きました。
読ませて頂いた本は、『トラウマの現実に向き合う〜ジャッジメントを手放すとき)しかありませんが、サリヴァンが終わったら、中井久夫先生の本と並行して読ませて頂こうと思って居ます。
「治療が有害となるとき」(『拒食症・過食症を対人関係療法で治す』水島広子(紀伊國屋書店)より
水島広子(精神科医)
一九八二年に米国で患者が起こした訴訟がある。
患者は精神療法の名門であるチェストナットロッジ病院で「自己愛性パーソナリティ障害」という診断を受け、約七カ月間入院して週四回の個人精神療法を受けた。しかし全く改善が見られないため、家族は別の病院の精神科医を通して治療方針の再検討を依頼した。そこで、会議が行われたが、大きな方針変更はなされなかった。結局、七カ月経過後、家族は患者を別の病院に転院させた。新しい病院では「精神病性抑うつ反応」と診断され、抗精神病薬と抗うつ薬を投与され、三週間で改善し、三カ月で退院した。最終的な診断は気分障害(うつ病)であった。
訴訟の内容は、「薬物療法を行えばすぐに正常に戻るはずだったのに、薬物を用いなかったため、経済的・社会的・精神的損失を被った」というものである。
この訴訟は、さまざまな問題を提起するものとして話題を呼んだ。
第一に、診断の重要性である。この患者はチェストナットロッジ病院でも「抑うつ状態」という診断は受けている。つまり、まるででたらめな誤診をされたわけではない。しかし、チェストナットロッジ病院では、「抑うつ状態」は「自己愛性パーソナリティ障害」によるものとし、パーソナリティ障害の方を治療しなければ治らないと判断した。二番目の病院では、「精神病性抑うつ反応」と診断し、「自己愛性パーソナリティ障害」とは診断しなかった(その後の研究成果から、うつ病などの病気の間には、症状の影響であたかもパーソナリティ障害のように見える人が多いため、うつ病の最中にパーソナリティ障害の診断を下すことには慎重であるべきだ、という考え方が一般的になっている)。
第二の問題は、治療法の決定方法である。チェストナットロッジ病院でも患者は「抑うつ状態」と診断されていたわけだから、少なくとも抗うつ薬の使用は考慮されてよかった。ところが実際には、薬物療法の併用ということも提案されず、患者は選択の余地なく精神療法を受けることになった。ここでは、「何が有効か」というデータから考える姿勢ではなく、「どうあるべきか」という治療者の信念(思いこみ)によって治療法が決められている。会議を行っても方針が変更されなかったのは、薬物療法と違って精神療法の場合「効かないのは本人の病気がそれだけ重いから」という理屈がまかり通ってきた歴史の影響もあるだろう。一九八〇年頃はたしかに精神療法の効果判定が今ほど精密に行われていなかったが、それでも「治っていない」という現実をもっと謙虚に直視していれば事態は変わっただろう。
最後に、精神療法の安全性の問題がある。薬物療法でも手術でも、治療を受けようとするときには、その安全性が気になるのは当然のことである。ほかに手段がなく、急を要する場合を除いては、危険性の高い治療を受けようという人はいないだろう。
精神療法の安全性についてはどうだろうか。精神療法は手術と違って直接身体に傷を与えるわけではないし、薬物療法のように身体に異物を入れるわけでもない。だが、私は精神療法が明らかに「危険」だと思われるケースを見てきた。まだ駆け出しの精神科医だった頃、患者さんの自殺に遭遇した。過食症だった彼女は、精神分析家から「君の吐物は君自身の内面なのだ」と言われ、自分に絶望し、その日のうちに亡くなってしまった。チェストナットロッジ病院の訴訟の例ではそこまでの危険性はなかったものの、「自己愛性パーソナリティ」という診断をされて、「パーソナリティに深刻な問題があってなかなか治らない人」という扱いを受けるのが安全なことだとは思えない。訴訟にある「精神的損失」にはこの点も含まれたのではないかと思う。
米国の訴訟の話を読んで、「まあ、二十五年も前だから今よりも医学が進んでいなかったのは当然」と思われただろうか。ところが、日本の摂食障害(拒食症や過食症)の患者さんたちは、いまだに同じ時代に生きている。摂食障害の人は、診断こそ正しく受けているが、病気について正しい知識を持っている治療者が少ないので、「わがまま病」「母親の育て方の問題」と言われ、誤った治療に長い年月を費やす人も少なくない。治療法の選択もデータに基づいていないため、拒食症の人は強制的に栄養をとらされ(退院するとすぐに体重が元に戻ってしまうだけでなく、この恐怖の体験がトラウマとなり、さらに病気がこじれてしまう)、過食症の人は「過食を我慢しなさい。あなたは我慢が足りない」と言われたりしている(うつ病の人を励ますのと同じで、ますます病気が悪くなる)。いろいろな医療機関を十年以上転々として私のもとにたどり着く患者さんたちを見ると、チェストナットロッジ病院の訴訟の人以上の「経済的・社会的・精神的損失」だな、と思う。
本書で紹介している「対人関係療法」は、数多くの臨床試験でほかの治療法と比較され、摂食障害やうつ病への治療効果が実証されている、「科学的根拠(エビデンス)に基づく治療法」の代表格である。本書が、日本の摂食障害治療を「一九八二年米国」のレベルから脱却させる一助となることを願っている。
*「scripta」第6号(2007年12月)より転載
今日は夜勤明けでしたが、朝夕の送迎と、支援の難しい方の入浴介助に呼ばれたり、体調の悪い方を大きな病院で診て頂く様に紹介状を書いてもらいに行ったり、バタバタしてしまったので、久し振りのお薄を金時豆で(笑)頂きました。横にあるのは、スライドバー。四辻に行こうと思いながら中々行けず、ロバート・ジョンソン全曲制覇はまだ一曲目のイントロだけです(笑)今年中に1曲は完全コピーしたいです!
黒楽でお薄を点てるのはご法度とも言われますが、自分はお構いなしです(笑)障がいをお持ちの方々の支援もこんな小さい事を気にしていたら出来ないといつも思って居ます。
中井久夫先生の書評もありましたので、アップさせて頂きましたが、以前にもアップさせて頂いた気もします。
携帯が壊れて新しくしたら、いつもと調子が違い、この写真を不特定多数の方に送信してしまい、申し訳ありませんでした。
◇書評エッセンス◇
トラウマの現実に向き合う 水島広子
トラウマという視点に立っての治療原則を述べたものであるが,PTSD だけでなく,さらに精神医学的,臨床真理的治療さえ越えて身体病の治療者に及ぶ重要な原則を明快に述べている。
「治療者は病気の専門家であって人間の専門家ではない」という,治療者の傲慢さへの戒めの上に立ち,治療者,家族などの周囲か「ジャッジメント」を下され,「コントロールされる」とき,人は弱くなり,
これに代わって「アセスメント」を供給され,自己を「コントロール」していると感じるとき,人は強くなる。この原則はそのとおりとしか言いようがない。しかし,この原則のもとに現実に向き合うとき,いかに
落とし穴が多いことか。たとえば「かわいそう」という言葉はジャッジメントであり,「専門家が答えを知っている」という態度は患者をコントロールする。
認知症,癌患者,難病患者の治療において,それぞれどのような現実に直面して,なおこの原則を守れるかを考えてみることは,これらの患者が置かれている現状を大きく改善するきっかけになる。しかし,それはマゼラン海峡を通過する操船者のような細心の注意と反省力を必要とするだろう。人の優位に立って人を支配することが医療者になる隠れた最大の動機だからである。それが治療者の,おそらく最大の,燃え尽き
の原因になっている。
(評者・中井久夫=神戸大学名誉教授■みすず53 巻1号(2011)より抜粋)
消費税が上がった理由は、社会保障の為と言いながら、医療報酬まで下がる様ですね......。福祉も大変ですが、医療まで下げたら、消費税の増税分は何処へ? 政府や官僚の方々は大変だとは思われますが、言って居る事とやっていることにギャップを感じてしまうのは、自分だけでしょうか?
忙中閑あり! 毎日自分を奮い立たせています(笑)