うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

物作りDayと今日の中井久夫先生


 今日のすろーじゃむは物作りの日でした!
今日は職員はお手玉を作っていました。
 組み立て方が難しいようで、みんなで考えながら作業をしていました。

Kさんは、先週は縫い物をされていましたが、今日は編み物を選ばれ、無心にされていましたが、百恵ちゃんのCDに合わせて大きな声で唄ってもおられましたし、職員の声掛けでも大きな声で応えて下さったりで、皆さんを笑顔にして下さいました!
今回はどんな作品になるか?楽しみです!



 移植したイチゴは、雨のお蔭で勢いがついてきましたし、

 チンゲン菜はこのままでも美味しそう!



 昨日の朝からさっきまで電話が鳴り続けていましたが、隙を見て?遊ばせて頂きました(笑)




 今日も学齢児さんのバスを待つ間、『こんなとき私はどうしてきたか』を読ませて頂いていたら、丁度読み終わりました。
 アップさせて頂くのは、少し前に読ませて頂いた箇所ですが、沢山アップさせて頂きたい箇所がありますがここだけにさせて頂きました。



4,「病気の山」を下りる
 ■回復期はからだに注目  病気中心の人生にしてはいけない

このように回復期には揺り戻しがあるからこそ、「健康な生活面に注目する」ことが重要なのです。
病的な面に注目するのは、熱心な、あるいは秀才ドクターの陥りやすい罠です。私も何度かそういうところに陥ったし、まわりにもそういう人を見てきました。精神病理学者に多くのものを与えた患者の予後はよくないのです。
患者が進んで病的な内容を医者に語るとき、医者の一つの面が刺激されます。それは「よい医者である」「熱心な医者である」という本人や周囲の評価によって、また患者自身の感謝によってすら強化されます。つまり、それを止めるものはないのです。繰り返しますが、患者が医者に多くを与えた場合、その患者の予後はよくない。それはブランケンブルグのアンネの症例を例に出すまでもないでしょう。
私が最初にアートセラピーをしたのは、疎通性がない患者さんに対してです。自分で絵を描いてゴミ箱に捨てているのを見た私が「あなたはこういうものなら描くの?」と聞いた。「はい」と答えるのでアートセラピーが始まり、それは私にとても多くのものを教えてくれました。患者もよくなったのです。けれども二度目のときはそれほど有効ではなかったし、そのあとこの患者は出奔して自殺しています。
すごく精密に病状を教えてくれると私はどうしてもそれをノートにしてしまうし、膝を乗り出して聴くのでしょう。患者のほうもそれに応えてくれる。しかしそういうことを中心にしますと、患者の人生はだんだん病気中心になってしまいます。病的体験中心の人生になる。
医者も、患者すらそれを正しいことだと思ってしまうし、家族だってそう思うのですね。だからこれを修正するのはとてもむずかしいことです。むずかしいですけれども、ぜひとも直さなければいけません。





 まあ、あんまり硬くならないで、普通に暮らし、接するのが一番でしょうが、普通と言うのが一番難しいと思うこの頃です。
 

 この後、中井先生は「膝を乗り出して聴くべきこと」はなにかと続けておられ、『映画にいったり、ベースボルをしたり喫茶店に行ったりしたことを、私は驚くべき病的体験の話よりも膝を乗り出して興味をもって聴けるか。−じつはそれは、医学部に入ってから何十年経った人間、医者の世界で生きてきた人間にはとてもむずかしいことです。』

と書いておられます。



 次は何を読ませて頂こうかと考えましたが、初心貫徹でサリヴァンの『精神医学の臨床研究』を読ませて頂く事にしました。
 職員さん達を見させて頂いていて、特に心理学や精神病理を勉強したわけでもないのに、自然とそのような事が出来ている職員がいますが、自分にはそんな素質がないので、頑張って本を読ませて頂き、自然に出来る職員さんの様になりたいと思って居ますが、サリヴァンの発達史等読ませて頂くと、到底無理そうですね(笑)取り敢えず、アホでそのような素質がないので沢山読ませて頂きます。
 何でも、他人様の10倍は努力しないと出来ない人間に産んだ親を怨みましょうか?(笑)

 四辻に行きたいと思いながら、長い一日を今日も過ごしてしまいました........。