うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

秋と類は類を癒す(サリヴァン)


 いつも、ひーひー王子と散歩する道の葛が、良い感じになってきました!  このまま生けたいですが、直ぐ萎れてしまうので毎朝、鑑賞させて頂きます(笑)

 こちらは昨日の夜勤明けに歩いた道にありました。
常春の半島の秋も、少しずつ深まっていきます。

分裂病は人間的過程である』
10B 社会―精神医学的研究(分裂病問題と精神保健におけるその意義)より

 10年ばかりの間、分裂病を病む人々と密接に接触してきた結果、ついに私は、病人ではなく、複雑な性格を帯びた状況(場)が、研究および治療の主題であるとのゆるぎない確信に到達した。5年ばかり前、分裂病患者を扱うためには、ある種の人物が持つ特異な相性が重要であると思った。いま述べた大結論は、この特に有能な職員の特性とは何かをさぐっていた私の努力の延長上になされたものと言ってよい。私の努力は次第に集約されて、直接的間接的に患者に媒介されて現われる、この種の職員との各種の方向へ(あるいは各カテゴリー)の対人関係の研究となり、それは次第に実験性を高めていった。はっとさせられるような啓示的な現象が少しばかりと、かえっていっそうわけをわからなくしてくれる現象がたくさん観察された。ついに、分裂病だけに専念しはじめてから10年ほどたつと、人間の相互作用の中には(たとえそれが主として意識外で起こるものであるにせよ)観察し分類し帰納することができる場が目には見えにくいが実在することに気づいた。分裂病患者を扱うのに秀でた職員とは、「類は類を癒す」というたとえのとおり、ひょっとしたら分裂病を発病していたかも知れないが、もし発病したとしても予後の良いグループに属し、惑わしの夢想の域から脱出して終いには意味ある現実へと回帰しえたであろう人なのではないか、と考えてみたのである。〰 
 〰やはり私の経験によれば、〈まったく正常で外交的で100パーセント善良な人たち〉は、(分裂病患者に対して)有能な職員の大部分を〈好きな人〉に分類していないことが証明されている。〰

 〰外交的正常人は私の選抜した人たちに対して「変人」という第四の区分を発明することがある。しかし、これはほんとうに誠実を期して言っているのだが、私の個人的経験では、この“変人”の皆が皆、分裂病患者の社会―精神医学的リハビリテーションに適正を持っているわけではなく、まして好意を持たない外向人たちが“変人”に分類しそうな医師のすべてに適性があるわけでもない。〰


 この章は得るべきものが沢山あるので、ご自身で読んで頂きたいと思います。

 『類は類を癒す』これは的を得ていそうですね!
単なるピアカウンセリングのことをサリヴァンは言っていないようにに感じました。この章は阿呆という言葉が何度も出て来ます。


 〜つまり、患者が、人的環境を統合して自分の妄想に反対する世の偏見のあることを理解する程度に達したならば、退院できたのである。彼らが賢人になって、自分たちをとりまく愚かな連中に寛容になったのではないかという気がしそうになった。周囲の人たちには悪意があるわけだはなく、単に阿呆なだけであることに気づいたということである。


 というように何度か『阿呆』が使われています。
容赦ない言動に、サリヴァン分裂病患者への愛情が感じられますし、発達障害をお持ちの方々の支援にも言える事かも知れませんね!