皇帝聖旨とサリヴァン
日々福祉職としての仕事を全うしようと努力させて頂きながらも、作品作りも折に触れ考えさせて頂いています。
その中で、皇帝聖旨の色合いに惹かれ色々調べていますが、ロックミシンの説明を受けながら、ロックミシンがあればこのような作品も可能だと思いました。本当に高貴な色合いです! 写りは非常に悪いですが.....。
聖旨:詔令文書(皇帝の詔)
皇帝による天下への布告、官員の封贈、外潘への勅諭、国家の大事の処理を行う際に発布した文書を総じて「詔令文書」といい、民間では俗に「聖旨」という。それらの文書の起草や担当機関、機能はさまざまであったため、名称は非常に多く、例えば、詔書、誥命、敕命、敕諭、金榜、冊、書、符、檄文などがある。展示されている詔書と誥命は極めて重要な詔令文書である。
詔書
清代の制度では、国家的な大事や重要な式典の際、必ず皇帝により「詔書」が発布され天下に伝えられた。例えば、皇帝即位、大婚、親政、崩御、帝位継承、政治改革、立憲、大災害などである。
詔書には一定の書式があり、一行目は「奉天承運,皇帝詔曰」で始まり、末行は「布告天下,咸使聞知」で終わる。中間には天下に知らせる事柄が記してある。
急なシフトの変更にもめげず(笑)頑張ってサリヴァン読ませて頂いています。一人で対応出来る筈もなく、主任さんにも急に夜勤に入って頂き、申し訳なく思って居ます。体調不良の職員が早く治るようにと願っています。
『面接者=被面接者間の対人的統合について』101,面接の場は被面接者の恒常的な性質を照し出すのが理想で、それに達するのは困難でも、安易なでっちあげはいけない
(面接の場というものは)面接の場における面接者の関与の仕方の経過を縦断的に詳しく検討すれば、それでもって、被面接者の人生の主な長所短所、それも特に被面接者の比較的変わらない性質であるものがはっきり見えてくる場になっている必要がある。面接者は、対人の場の関与的観察の専門家であるから、面接の場をそのように持って行くように影響力を行使する責任がある。ところが、これは(面接者にとって)過大な要求だから、自分の経験に照らしても、どうやらわれわれの大部分は、患者の短所を二つ三つ発見したら後は想像力を大いに働かせて、患者個人の全体像のまがいものをでっちあげてしまっているのではないかという気がしてならない。そうなってしまう必然性は分かるが、実際にされると歪んだデーターが作られる。むろん、精神科医の介入度の大きさは、患者の持っているはずの利点欠点をことごとくさらけだすほどの力はあるまいし、さらに、それを記録し、裏付けを取るところまではとうてい達しないだろう。ごく一部そうかなという気がする程度で終わるだろう。そうは言っても全く「見れども見えず」では困るし、面接者が後からの想像に頼ってレポートを書くのはなおさら困る。(サリヴァン)
記録に自分の功績を残したいがために支援を行うと言う、本末転倒な支援者の行動や記録を見た事もあります......。
他の箇所で、面接中にノートを書くべきか否かとの箇所もあり大変興味深く読ませて頂いています。
他の事業所の代表の方と記録について話し合ったことがあり、その方も記録はその場その場でさっと書き上げないといけないので、汚くなるのは仕方がないし、清書したような記録は、きっと利用者さん達をほっといて記録だけに専念しているんだろうとも言われていた事、思い出しました。
確かに夜勤でしかも重度の方が多い日には、綺麗には書けませんね!
まあ、自分の字の汚さはほっといて!(笑)
今日も無事一日が過ごせたこと、皆様に感謝しています。
甲子園で大阪のチームが勝ちました!地元の方々済みません。自分は大阪が負けると、夏が終わった様に感じるので、もう少し夏を感じさせてください!まだまだ猛暑は続きそうですが!
愛知県も勝ったのでまあ、良いですね!