うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

すろーじゃむ畑と『サリヴァンの精神科セミナー』ケース・セミナー第1回より



 先日の台風で、諦めていたすろーじゃむ畑を今日見たら、大丈夫どころか、トウモロコシは花穂が出て、さつまいもは一回り大きくなっていました!去年は中坊くらいの大きさだと親分に言われましたが、今年は期待できそうです!
 トウモロコシを植えるには、遅い、早いとの意見がありましたが、結局は本職(真剣に作られている)の方の意見通り、立派に育ちました!

 どの道も、真剣に取り組まれている方の意見には、本当の説得力があります!

 

 アトリエ・カーグを利用して下さっている方の絵が、岡崎信用金庫のティシュの箱に採用されたとのこと!
 支援者は何も指導はしていないので、ご自身のセンスが良かったと思われます!おめでとうございます!
 ティシュを一箱頂きましたが、もったいなくて事務所に飾ってあります。


サリヴァンの精神科セミナー』第1回を読み終え、第2回に入りました。
サリヴァンの精神科セミナー』ケース・セミナー第1回へのコメント(二十五年後の座談会)より抜粋

サリヴァンは事実と既往歴とを知ることにものすごく力点を置いていたから。サリヴァンはいつも君に迫っていた。「このことを知っていたか。何かあったか。」とね。
僕はよく「はたして、現に起こっている具体的な事から直観的センスにもとづいてこんなに広く一般化してしまっていいのかなあ」と腰が引けたものだ。
生活歴の重視のことだろうがよく「どこにきみのデータがある?」と言っていたな。
そのことから、二つ結論を出した。一つは周到な生活史聴取で得たものは、患者の発達の各段階の特徴を把握して、患者が一般的発達のどの位置にいるかと考える役に立つというサリヴァンの信念だ。もう一つは、この方が僕にはおもしろいと思うが、サリヴァンは、生活史を患者とのつながりを作る方法として使い、また、これまでの人生で患者に起こったことを理解しようと努めていると患者に証明してみせる方法として使っている。そして、その結果、自分が患者とのこの関係を確立しようとしていること、今何が起こっているかを理解しようとしていることを患者に信頼させる手段にしたと思う。(ライコフ


レス・ファーバーは治療について「治療とはけっきょく患者が自分史を書くのを援助する事だ」と言っている。中々の名せりふだと思う。(クヴァーニス


患者がたしかに自分のものとして持つ人生のことだ。それがサリヴァンの質問の方法でしだいに見えてくるのだね。たとえば、その場ではっきり言葉になるかどうかは別として、治療者の質問に答えてゆくうちに患者自身にはっきり見えてくるようにしなさいとサリヴァンは口を酸っぱくするほど言っている。質問は闇夜に鉄砲じゃいけない。それじゃ不安をかきたてるだけだ、何かに向かって進んでいけるものでなければならない、と。
ライコフ君、これは「質問は関係をつくる一方法にほかならない」というきみの指摘に遡ると思う。(クヴァーニス


いや、いま思い出したところだが、それは僕じゃなくてサム・ノーヴィのことだ。
知ってるかい。サムは亡くなる直前に生活史論の本を書き上げた。もう5年前になる。その本にはいま話していること、つまりサリヴァンの生活史活用法と重なることがあるから思い出したよ。(ライコフ





 纏めれば良いのでしょうが、そのまま読んでいただきたくて、抜粋してアップさせて頂きました。