うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

米朝さん逝くと、九雀師匠のメルマガ

 昨日、ニュースを見ていたら、米朝師匠が亡くなったとの報道がなされていました。
大阪人としては、残念ですが、同級生の事を思い出しました。
 彼は、小6と中3の時に同じクラスだった、枝雀門下の桂む雀です。
中学生の時に既に噺家になる決意をして、米朝師匠に入門伺いに行きましたが、まだ若いので、少しでも色々な経験をして、せめて高校を卒業してからまたおいでと言われたと話してくれましたが、高校を卒業したら、米朝一門の枝雀師匠に入門していました。
 若くして脳梗塞になって、未だリハビリ中の様で、高座には上がれない様子で、こちらも残念でなりません。
 親分がむ雀・九雀両師匠と、あらいなおこさんとの、フレンドシップコンサートの企画をまだ、諦めていないので、早く実現出来る様願っています。

 先日、九雀師匠から珍しく早く?メルマガが送られて来たので、アップさせて頂きます。
 上方落語界の、ディープな部分を共有できたらと思って居ます。

九雀です。
まぐまぐ」当局から「そろそろ書かなあきまへんで」と来る前に書くのは、初期の頃以来です。

前回書いてからは、めまぐるしく、様々なことがありました。

・ナマ下座の活弁
・「紙入れ」ネタおろし。
・鴨鈴女(南河内万歳一座・しかも箕面高校同級生)とのリーディング
リュート入り落語「筆まめ間男」
・「しの字丁稚」ネタおろし
・障害者フェスティバルでの吹奏楽落語「忠臣蔵
・「桂九雀田中啓文こともあろうに内藤裕敬」稽古〜倉敷公演
・岡山での新落語会スタート〜広島・九雀亭
・「大工調べ」ネタおろし
・「桂九雀田中啓文こともあろうに内藤裕敬」小倉公演
・福岡での新落語会スタート

これ全てヒト月以内の出来事です。(1月25日〜2月23日)
今、書きながら軽い吐き気と目まいを催しました。
終わってから気が付く無謀さです。

これから見れば、急遽決めて2週間後には終わっていた「九雀・金谷ヒデユキ二人会」などは、余裕のよっちゃんです。
オモロかった。

そんなさなか。
カミサン・高橋まき(寄席囃子奏者)に弟子さんが来ました。
19歳の女の子です。
この子が続いてくれたら、上方落語・寄席囃子は大丈夫です。
まぁ私が亡くなった後のことなんですが。

私が入門した頃のお囃子さんは、一番若手のお師匠さんでうちの母親世代でした。その時点で43歳。
あとは私のお婆ちゃん世代の方々が数人おられただけでした。
まぁ寄席はなかったし、落語会も少なかったし、上方落語家も少なかったり(私が入って90人)、充分その人数でまかなえていたのでしょう。
でも若い噺家がお婆ちゃん世代にお仕事を頼むのはあまりに敷居が高い。
ですからナマのお囃子が入る落語会は、ホールの大規模なものを除いてはほとんどありませんでした。
CDはまだありません。全てカセットテープ。

「頼みやすいお囃子さんが欲しい」
そんなニーズもあって、若いお囃子さんが増えていきました。
今や協会お囃子陣の先頭を走る和女さんや、英華さんもそうですし(この二人は僕と同世代)
うちのカミサン・高橋まきもその一人です。

しかし・・・・
20代からやっていた麗しき「乙女」達も、気が付けば50代、40代の「麗しき」熟女です。
今、一番の若手が今年の年女(24歳ではありません。もちろん12歳でもない)。
あと五・六年したら、私が入門した36年前の状態になってしまいます。
やばい。

お囃子さん希望者が少ないのには、理由はある
と私は思っています。
昔は女性落語家は極めて特殊な存在で、露の都ねえさん孤軍奮闘でした。
「女性は無理」みたいな常識が脈々とうけつがれていました。
なので今風に言うと「落語女子」や「ラク女」は、この世界に関わりたいと思えば、お囃子さんになるしかなかった。

ところが昨今の女流ブームはどうですか。
「ああ、女子も落語できるんや」と思えば
もともと大学の落研で落語をやってた女子は当然落語家を目指します。
落語に出会うのが遅かった娘さんだって、客席から見てて、高座の落語より、陰で弾くお囃子に興味を持つ、
なんてことも普通はないでしょう。
結果、人材は落語家に流れていきます。

なので入門志願してきた10代女子は心強い。
絶対育てるべきだと思いました。
まして、とても縁のある娘さんでして
私と親しい劇団でスタッフをしている女性のお嬢さんです。
さらに東住吉高校芸能文化科の卒業という芸人の王道を歩んできました。
ドラフトなら全球団一位指名ですよ。

ところが、ところがです。
我らが高橋まき師匠は「私なんかまだまだ」と言うて断ろうとするじゃないですか。
びっくり。がっかり。しゃっくり。

しゃらくせぇ! てやがんでぇ、べらぼうめ!!
芸人に「まだまだ」じゃない時なんか訪れねぇんだよ。
と、私がいくら言っても聞き入れなかったお師匠さんは
「まき師匠でないと嫌です」という27歳年下の涙ながらの訴えに、やっと決心しはりました。
アタボウよ!!! ったく手数のかかる野郎だぜ。

3月1日に入門しました。
奇しくも36年前に私が枝雀邸に住み込み始めた日でした。

こんな場合私の立場は、彼女からなんと呼ばれるんでしょうね。
落語家なら師匠の奥さんは「おかみさん」ですが
お囃子さんの師匠の亭主はなんと呼ぶのかしら。
まぁ私は噺家なので「九雀師匠」で良いとして、旦那が一般人なら
「ご主人様」じゃメイドカフェみたいだし、「旦那様ぁー」じゃ犬神家の一族みたいだし、「旦さん」じゃお妾さんみたいだし。
まぁ今そんなケースの該当者は居ないから考えなくてもいいですな。

師匠ではないですが、業界の先輩の中で一番近しい人間としてやれることは
怠けないように、お行儀悪くならないように、何より師匠に叱られないように、陰からそっとアドバイスをして
ご飯は食べたか? 電車賃あるか? 着る物あるのんか?
と聞くくらいのことでしょうか。
これって、ただの「お父さん」じゃん。

彼女・岡野鏡(おかの・きょう)と申します。
ご指導ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。<ツイッター>
公演情報 @hataraku_kujaku


「桂 九雀」の名前にて。<ホームページ>
http://www.rakugokobo.jp/ 落語工房