うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

自分は標準か?

九雀師匠から『自分は標準か?』と言う御題のメルマガを頂きましたので、アップさせて頂きます。

 読ませて頂いていると、自分達、福祉職にも当てはまる事でもある様に感じ、又々自戒してしまいました。



九雀です。
残暑お見舞い申し上げます。

前回は弱点改良中について書きました。
今日はちょっと視点を変えまして。

先日、ある落語の映像を家で見ていました。
演者は一角名をなした人で、しかも私より先輩です。
同業者から見ても、上手いし面白い。
でも、テンポと言うか、間と言うか、それが私の体内リズムに合わない。
ゆっくり、のんびり、トロく感じながら見ていました。

横では、いつも私に「もっと落ち着いて喋りなさい」と意見する内儀さんが一緒に見ていました。
彼女に聞いてみました。

九雀「この(映像)の喋りは退屈やない?」
内儀「退屈なことないですよ。」
九雀「他の人もそう感じるやろか? 僕はかなり退屈やねんけど。」
内儀「世間の大方の人は退屈なことないですわ。」

すごい。
何がすごいかと言うと、自分の感覚が「世間の大多数と同じである」と思えることがすごい。
正しいかどうかは、この際どうでも良えんです。
「自分の感覚は世間の標準である」と思えたら、これはとても楽です。
揺らがない。迷いがない。疑問をもたない。
受けなんだら「自分は一般受けする噺をしたが、今日のお客様が一般的でなかった」と思っておけばいいんですから。

もっと言えば、
自分が欠点だらけの落語をやっていたとしても、本人がこの欠点に気づいていない、
あるいは欠点を欠点とも思わないとしたら、これは本人にとってはなかなか幸せなことではないかと思うのです。

「自分のやってる落語は楽しいに違いない」
落語家という仕事は、この「大きな勘違い」が必須条件なのかも知れないと思えてきました。
我が家の場合、この素養が私には無くて内儀さんにあるというところが、残念なところです。

前回も書きましたが、このメルマガで公演情報を載せるのはやめていきます。
(せっかく書いたものは残してありますが、終了したら順次消していきます)
これからは、下記ツイッターをご参照下さいませ。

ツイッター「九雀公演情報」
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また日常のツイートは
https://twitter.com/#!/katsurakujaku
です。


 でも、自分のやっている仕事は面白い!と言うのは、自分もかんじています。