うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日のうたたねと、真島昌利 / さよならビリー・ザ・キッドと、【ノーマルな状態の人間にも〈画像〉は訪れる。睡眠中に意識の一部に現れるその〈画像〉は、普通〈夢〉と呼ばれている。フロイトはその夢を解釈することによって無意識に迫ろうとした。】

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 今日は日中おられる男子だけすろーの湯に行きました。暖かかったので良かったです!

イチゴは春には沢山出来そうです!二年ぶりですね!やっと回復しました。

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 12月というのにカマキリさんが元気でした。

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 昨日はペインクリニックに行きましたが、何度か行っていたのに、後ろにベトナム料理屋さんがあるなんて気が付きませんでした。今度受診後時間が許せば行きたいですね。


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 作品作りが停滞している中、マスクにやってみました(笑)。何かを作りたいのでしょうなね!

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 バザーで色紙額が売れたので、まだ加工途中の物を引っ張り出してきました。仕上げて間に合えば持って行かせていただきます。

 アップがめちゃくちゃ遅れていて、なんで下記をアップしたのか?忘れてしまっていますが、好きな曲です。山崎まさよしはやっぱり凄いですね!



 

 この本も中々内容が濃くて、集中して読み進めています。もうすぐ終わります。

反復強迫としてのトラウマ
 ーマルな状態の人間にも〈画像〉は訪れる。睡眠中に意識の一部に現れるその〈画像〉は、普通〈夢〉と呼ばれている。フロイトはその夢を解釈することによって無意識に迫ろうとした。
ルマの夢」は、フロイトが夢解釈を試みた最初から夢である。精密な自己分析の結果、彼は「夢というものは、ある一定の状況を、私が願わしく思うように表現するもので、夢の内容はある願望充足であり、夢の動機はある願望である」(「夢判断」第ニ巻、p.102)と結論を述べている。  れに対して、トラウマ的出来事の〈画像〉には、夢のもつ願望実現の機能はなく、また解釈を呼び込む象徴性もない。フロイトも災害神経症者の夢については、これを「夢は願望充足であるという命題」にとっての例外と認めている。
して、それを別のカテゴリーとして扱い、「快楽原則が支配し始めるまえに解釈されねばならない別の問題」として扱ったのである。その課題とは、彼が「反復強迫」と呼ぶものである。
却されたものや、抑圧されたものを呼び起こそうとする願望に支えられた」この精神活動には、いまだ未知の部分が多いと彼は言っている(「快楽原則の彼岸」第六巻、p.169)。〜

今日のうたたねと、「学歴」より「学力」が大事ってどういうこと?と、【トラウマ(外傷)とはどこに受けた傷なのか?】

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またまたアップが遅れてしまいました!日曜日のが今日になりました......。

小銭のご寄付があったようで、親分が神戸館んさんから第1弾で頂いてきました。本当に感謝です!ありがとうございます。

 

 

 下記の記事がありましたが、どうやら学歴主義は変わっていないですね......。任天堂さんなんか大分前から、学歴がなくても専門分野に非常にたけた方々を採用されていたので今の任天堂さんがあるように思っています。


 急に下記の引用に移らせて頂きました。樫村先生が引用されていた本からですが、もう少しで読み終えますが、興味深い内容でしたし、樫村先生の本とも重なっているところもありました。現場でも参考になる個所が沢山あり、職員んさん用にとも思っています。
歴史とトラウマ

記憶と忘却のメカニズム

下河辺美知子

 

第1章トラウマの記憶

ーー画像、音声、そして証言

トラウマ(外傷)とはどこに受けた傷なのか?

 

 〜が激しい衝撃を被るようなトラウマ的出来事に巻き込まれたとき、その体験にたいしては、通常とは異なる記憶のメカニズムが発動されることは以前から知られている。しかし「トラウマ(Trauma)」という語は、もともと精神ではなく、肉体に受けた傷を指す言葉であった。〜

 

 〜「ラウマ」を、心に加えられた見えない傷という意味で精神医学の用語として用い始めたのはフロイトであった。

 「楽原則の彼岸」(一九ニ〇年)の中で、「激しい物理的な衝撃、列車の衝突や、その他の生命の危険と結び付いた災害にあった後に」現れる精神症状として、彼は「外傷性神経症」(Traumatic Neurosis)という名称を出している。

 こで注目したいのは、フロイトがこうした症状を採り上げた時期が「今日終結したばかりのあの恐るべき戦争(第一次世界大戦)が、多数のこのような病気を発生させた」(同、p.154)直後であったことである。戦争は人類の歴史と同じくらい、古くから行われてきたとはいえ、科学兵器が本格的に用いられるようになったのは、第一次世界大戦からであるという。全身を硬直・痙攣させる「シェル・ショック」と呼ばれる症状を呈す元兵士の姿がフィルムに収められたのもこの頃であり、精神的症状としての「トラウマ」はそんな中で論じ始められたことになる。

 の後、人類はさらに大規模なもう一つの世界大戦を経験する。この大戦は、ナチスによるユダヤ人大虐殺、ヒロシマナガサキの原爆を含むという意味で、人類にとって歴史上初の事件であった。

  かし、アメリカの場合、こうした一連の症候群を定義しようと関心が盛り上がったのは、第二次世界大戦直後ではなく、むしろベトナム戦争の後であった。七〇年に入り、ベトナム帰還兵の中に、明らかに戦争体験から来ると思われる精神障害が目立ち、市民生活に支障をきたしてくると、ストレス性症候群にたいする関心がアメリカ精神医学界の中に高まってきたのである。その結果、一九八〇年『精神疾患の分類と診断の手引き 第三版』(通称DSM-Ⅲ)に「心的外傷後ストレス障害」(PTSD)の項目が新しく設けられたのである。

今日のうたたねと、アルコール消毒の盲点?増える感染性胃腸炎と、【市場原理を運命の法則として捉えるのは、ルノーが述べるようにイデオロギーだろう。】

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 今日は神戸館さんにバザーを見に行くついでに、モーニングも頂いてきました。そのあとはしっかり散歩もされたようです!

 おかげさまで、バザー物品は少なくなっていました。ご理解・ご協力本当にありがとうございます!

 

下記は気になったのでアップさせて頂きました。


お店の入り口でシュ。
出勤してシュ。
食事の前にはウェットタオル。

これで感染対策はバッチリ!…と思っていませんか?
アルコール消毒だけでは十分に防げないウイルスもあるんです。

いま胃腸炎を引き起こすノロウイルスなどの感染がじわじわと増えています。
(ネットワーク報道部 廣岡千宇・野田麻里子・清水阿喜子)


 今の自分には精神分析も経済も切り離せないので、

樫村愛子の本や論文に行きついたと思われます。

かし、「国際競争力に勝つために」「会社をつぶさないために」といった理由で、「プレカリテ」が運命論的に逃れようのないものと捉えられるとき(ブルデューは「グローバリゼーションはイデオロギーた」と言い切った)、すべての政治の可能性は奪われてしまう。むしろ人々のディーセントな(尊厳ある)労働や生存の条件を脅かす国際競争には、世界的なコンセンサスのもとで規制を設けていく発想が必要である。
 哲学者エマニュエル・ルノーは、先の社長たちの言明が抽象的で脱文脈的であるがゆえに、マルクスのいう意味でのイデオロギーであると批判している。市場原理を運命の法則として捉えるのは、ルノーが述べるようにイデオロギーだろう。

昨日のうたたねと、SDGsの不都合な真実…投資目的の「脱炭素政策」は人類を幸せにするか 少なくとも日本は確実に落ちぶれていくと、【一方、フランスのジャーナリズムは、反CPE運動の頂点では学生たちをもちあげておきながら、運動の熱が冷めて来ると、限定つきだが、「プレカリテ」を評価するようになる。】

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 昨日も皆さん笑顔で終えることができ感謝です!



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 きれいな夕焼けでした!

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 時間があれば本を読ませて頂いているので(笑)、車の中が本だらけ(笑)!後部座席は見せられません!

 

 賛否両論がありますが、個人的には太陽光発電パネルは化石燃料で大量生産していないのかな?と、不思議です。寿命が来たらどうするのか?も答えなく進めている感じも否めないので、記事は自分の疑問点に少し応えて頂いた感じがしました。休学中なんで(笑)好き勝手(笑)!

 

 

 下記も樫村先生の引用ですが、今日は違う樫村先生の論文を読ませて頂いていたら、その論文が書かれた時はフランス人は5人に1人の割合で抗うつ剤を服用していて、世界で1番割合が高いと書かれていました。フランス大統領になるにはきちんと哲学を学ばないとなれない、DVがこちらも世界で1番割合が高いと、違う本に書かれていましたが本当なんでしょうか?もしそれが本当なら、なんか大文字の他者にいつも怯えている感じがするのは自分だけでしょうか?

CPE法案の背景には、ニ〇〇五年の夏、MEDEF(「仏企業運動」。日本の経団連にあたる)の会長ロランス・パリゾーが、大手新聞「フィガロ」に「人生や健康や愛は不安定なのに、なぜ労働だけがこの法則を逃れられるのか?」というセンセーショナルな発言を行うなど、すでに経営者側の積極的な動きが、あった(これに対し、社会党の労働条件視察官で、組合活動家のジェラルド・フィロッシュは、ニ〇〇六年にパリゾーのこの発言をタイトルにした著書を出版した。副題は「労働法は燃やすべきか」で、パリゾーの発言を批判している)。
 一方、フランスのジャーナリズムは、反CPE運動の頂点では学生たちをもちあげておきながら、運動の熱が冷めて来ると、限定つきだが、「プレカリテ」を評価するようになる。
 ランスのジャーナリズムは、「プレカリテ」を正当に枠付けようとする意向自体は悪いわけではないとし、むしろフレキシビリティの発展のためには必要だと述べた!そして「良いフレキシビリティ」と「悪いフレキシビリティ」と、両者を分けて論じるようになる。
 のように、メディアでも、プレカリテを進める動きが出てきたのだった。〜

年末チャリティーバザーの準備と、ワクチンを急ぐ背景は歴史にと、【だが、フランスの学生たちは、この問題が若者の問題だけでないことを、「プレカリテ」というキーワードを突きつけることで、いち早く社会全体に訴えたのである。】

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 明日から神戸館さんで、恒例の年末チャリティーバザーが行われます。皆様のご理解・ご協力のおかげで沢山の物が集まりました。絵画・陶芸から古時計、日用品まで多種多様なものが沢山ありますので、是非とも覗きに来てください。

 

 パレスチナイスラエルの関係だけではなく、香港や台湾、アジア諸国、アフリカ諸国など同じような問題は起きているので、以前アグネス・チャン氏が言っていたように、、香港人には香港人としてのDNAが埋め込まれているとの発言は、それぞれの国の方々にも同じことが言えるのかも知れませんね。

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国民のワクチン接種を進めることと、ガザ地区空爆すること。全く異なる話のようですが、この2つの話は根底のところでつながっていると僕は思っています。

 

 

えっ?どういうことですか!?

その手がかりを得るために、少し時代をさかのぼってみましょう。

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 樫村先生の本からこちらに来ましたが、この本も新しいとは言えない本です。でも、中身は小此木先生のモラトリアムや樫村先生の近著と同じように、現在でも進行中?の新しい資本主義を探す途中です。コロナが落ち着いたらニューノーマルの完成とともに、新しい資本主義も生まれ得るのでしょうか?

 下記の樫村先生の引用も、サービスの経済化などによってますます加速し、深刻になっているように思うのは自分だけでしょうか?

※反CPE運動
 ランスで「プレカリテ」がキーワードとなったのが、ニ〇〇六年春の学生運動である。
 九六八年の再来かといわれた、ニ〇〇六年春のフランスの学生運動は、フランスの若者たちをターゲットとした「CPE(「初期雇用契約」。「新社会人契約」とも訳される)」法案に反対するものだった。
 CPE法案は、ニ六歳以下の若者をニ年間、理由なく解雇できるとするもので、その先に全労働者の流動化をもくろむ経済界とそれを後押しする政府が、若者という弱者に分断攻撃を加えたのだった。
 が、フランスの学生たちは、この問題が若者の問題だけでないことを、「プレカリテ」というキーワードを突きつけることで、いち早く社会全体に訴えたのである。
 動は、高校生や労働組合をはじめ、多くの人たちを巻き込んだ。グローバリゼーションの中で苦しむ人たちすべてに普遍的な問題であることを提起したからである。~

ナイトドライブと、よし、北海道を飲もう!~ワインの神に愛される北の大地と、【フランスは、「恒常性」の危機について、最も敏感に反応し、議論してきたくにであるとはそれについて、メディアや政治的言説における最もポピュラーな用語は、「プレカリテ=precarite」であった。】

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 昨日はナイトドライブでイルミネーションを見てきたそうです。ボケた写真ばかりでしたが........。

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  昨日も皆さん笑顔で一日終われたこと感謝です!



 下記を見ていると、気候変動も悪いことばかりではないですね。公害等はグローバル・サウスに放り投げていますが……。

北海道のワインがいま、世界の注目を集めている。
戦後、北海道で最初に生産を始めた十勝の池田町では、高い評価のワインを安定的に出荷するようになった。さらにフランス・ブルゴーニュの老舗高級ワイナリーが函館に進出。
“神に愛された土地”ブルゴーニュから来た責任者は「世界を驚かすワインをここで作りたい」と意気込んでいる。
北の大地でいったい、何が起きているのか。
鍵を握るのは「14度」だ。
(函館放送局 記者 西田理人/札幌放送局 記者 黒瀬総一郎/ネットワーク報道部 記者 芋野達郎)


 

 樫村先生の引用ですが、今は違う本を読んでいるので何かダブってしまっています。やはり20年前くらいの本ですが、現在と変わっていないどころか、進化(逆の意味で)しているように感じるのは自分だけでしょうか?新しい資本主義にまだ到達していない証左でしょうか?

第一章 プレカリテとは何か?
※プレカリテとは
 ランスは、「恒常性」の危機について、最も敏感に反応し、議論してきたくにであるとはそれについて、メディアや政治的言説における最もポピュラーな用語は、「プレカリテ=precarite」であった。
 「安定化」という意味をもつ語である「プレカリテ」は、基本的には「雇用の不安定化」がもたらす「生活の不安定化」を意味するとそれが、社会の流動化と解体をも示唆する、さらに広い意味で使われるようになった。またその上で、社会や人間の豊かさの喪失を指し示す人文社会学的用語となり、メディアや政治をつうじて社会的スローガンともなった。
 会学者のバウマンは、フランスの「プレカリテ」にあたる言葉は、ドイツでは「Unsicherheit」や「Riskogesllschaft」、イタリアでは「incerezza」、イギリスでは「insecurity」だろうとする。そして、これらの語が明らかにしようとするのは、不安定性(身分、権利、生活の)、不確実性(永続性と将来の安定との)、危険性(身体と、自己と、財産と、近隣と、共同体の) の三層からなる現象であるとする。~ 

今日のうたたねと、特養の月額利用料2万2千円も上がった…「あまりに負担重い」 なぜ今?と、【人と人との関係は、あとで見るように、愛憎が背中合わせで張り付いている。幼児はこの矛盾的様態を克服して大人になっていく。この矛盾はその後も持続する。】

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 午前中は2班に分かれて散歩しました。自分はのんびり班!

男子だけの班は沢山歩かれたそうです!

 

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 男子だけすろーの湯に行きました。寒かったですが暖房をつけ充分温めてからゆっくり湯船に浸かったらポッカポカ!

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 今日はたくちゃんの誕生会でした。みなさんそれぞれにお祝いされていました。
今日も賑やかな一日でした。

 

 社会化.....。今中心に読ませて頂いている樫村先生の本にもよく出てくる言葉ですが、時代の流れが、そこで(例えばマクドナルド化とか)止まってしまっていないでしょうか?20~30年前に出た本に書かれている状況が、現在もっともっと進んでいる気がします....。

 県立広島大の金子努教授(社会福祉)は「『介護の社会化』からの逆行が起きている」と述べる。家族が担うものという風潮が強かった介護を、社会全体で支えようとしたのが介護保険制度だった。「低所得者支援のカットにまで踏み込むのは『ここまできたか』という印象。介護保険制度の維持が目的になっており、このままでは格差が広がるばかり。税の負担の在り方を含め制度を議論し直す必要がある」と話している。 


 心理学化された社会ではもはや通用しなくなっていて、精神分析化まで行かないと現状を打破できないのでしょうか?

 

※コミュニケーション社会における文化の危機

 のように、生活の恒常性の喪失やアイデンティティの解体が、存在論的なレベルで問題となりながら、それに取り組むアカデミックな議論が少ない日本の現状において、二〇〇五年に筆者もインタビューで参加した『ネオリベ現代生活批判序説』(新評論)は、左翼的な批判の狭さを超えて、流動化の中での人間や文化の豊かさを人文社会科学的に問う、一つの試みだった。~

 

 〜ゥルーズが批判するように、制度や中間集団、文化が消失し、さまざまな事態を瞬時のコミュニケーションによって処理する「コミュニケーション社会」では、人々の交通を妨げている物理的・社会的障壁が消失して人々がダイレクトにつながるのではなく、人と人とを現実につなげている文化や社会的システムが排除され、むしろ人々は、逆に不信と敵対の関係に陥ってしまう。

 と人との関係は、あとで見るように、愛憎が背中合わせで張り付いている。幼児はこの矛盾的様態を克服して大人になっていく。この矛盾はその後も持続する。が、それを名指したり、鎮めたりする文化が、人々にこの困難な無意識的感情についての認識を与え、人々を支えていく。~

神戸館チャリティーバザーとリンゴと散歩と、歴史とトラウマと、定まっている未来と、【 しかし、歴史的危機の中で「恒常性」を危険な幻想によって求め、悲惨な歴史的事態を引き起こした事例は多くあった。多くの先進国で、民主主義を否定するような極右が台頭し始めている今、その求め方こそが重要だろう。】

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 今年も年末チャリティーバザーをして頂けることになり、感謝しています。皆様から沢山物品も頂き重ねて感謝です!本当にありがとうございます。

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 職員さんが沢山リンゴをくれ、他の職員さんがドライリンゴ?を作ってくれました。素材そのままとのことでしたが、甘くておいしかったです。リンゴも勿論おいしかったです!

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 久しぶりに散歩の支援に!一番好きな支援ですが人気があり、中々順番が回ってきません!


  樫村先生が引用されていた本を購入して読み始めました。21年前に出版された本ですが、内容は古さを感じるどころか益々ひどくなってきているのではないのか?
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 〜また、昨今の若者たちが、ナイフをもって不特定多数の相手に向かって突進していく様子を見ていると、言葉の習得という点で、何らかの問題がそこに隠れているように思えて仕方がない。日常生活を営むための言語は一応習得しているにしても、現代社会と教育制度に搦め(からめ)囚われた自己の体験を表現する言葉を、彼らは習得しそこなっているのではあるまいか?そのため、心に受けたトラウマを言語記号に移し替えて表現することが出来ぬまま、心に溜まった激情を声にのせて発したいという思いが抑えられなくなることがある。そして、その衝動が、声帯ではなく、手や腕や体全体の運動神経に刺激として伝わり、彼らに引き金を引かせ、ナイフを突き立てさせたと考えることはできないだろうか?「恐ろしいこと」は、言語を遣うという人間本来の活動の中に充満しているのである。

 

 下記は、流通論時に参考にさせて頂いたものの、一つですが時々覗かせて頂いています。ポストコロナやSDGsを視野に入れないと新たな社会の構築は難しいですが、SDGsに関してはやりすぎている気もします。太陽光発電の大量生産は現在のところは化石燃料を以前よりもまして使用しないといけないのに、表面だけ良ければいいのか?と思ってしまいます。

重要なことはやりきること

カーボンによる地球温暖化も、プラスチックによる環境負荷も、再生可能エネルギーのライフサイクルも、異論・反論が多く出されている。極端に言えば「すべて陰謀だ」という指摘すらある。

そのため「やらない理由」は、いくらでも立てることができる。

しかしながら、コロナ禍におけるワクチン議論が示すように、大きな流れの中で生じる様々な異論は、基本的にノイジー・マイノリティの言説であり、実態が変わっていくことで、いずれ、サイレント・マジョリティが考える世界へと収束していくことになる。

いろいろな時系列的な変化から、玉突き的に起こっていく事象を展望し、いち早く変化に対応する取り組みを展開していく…。

ポスト・コロナにおいて求められるのは、そうした視野と視点であると考える。

 

 樫村先生の引用の存在がなくなるくらい前置きが長くなりました。まだ序の口で内容が分かりにくいかもしれませんが、もうすこし読み続けて頂ければと思っています。

 自分は左にも右にも寄りすぎるのは嫌だし、そんな方とはお付き合いはしません。

 〜「常性」を求めて、伝統に回帰しようとする方法が、同時に民主主義的な価値や人権など、これまでの近代的な文化的財産を解体しかかっても、それが十分に批判されないのは、「恒常性」の解体の方が民主主義の解体より危機的なものとして受け取られているからだろう。

 かし、歴史的危機の中で「恒常性」を危険な幻想によって求め、悲惨な歴史的事態を引き起こした事例は多くあった。多くの先進国で、民主主義を否定するような極右が台頭し始めている今、その求め方こそが重要だろう。

ひと事ではない! 水資源問題と、【それゆえ、その間隙を縫うように、気分的、ヒステリックな議論が保守派の人々から主張される。それが退けられずに人々の支持を得るのは、単に流動化への不安さからくる曖昧さのせいだけではない。人々が直観的に精神の安定や教育の条件として、「恒常性」の必要を感じているからだろう。】

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 賑やかになって来たのは嬉しいですが、こちらではマスクをされている方がいませんでした。

 まだまだ安心出来ませんね。

 

 最近、日本は洪水が多いので下記のニュースのことは全く頭に入ってきませんでした。SDGsでは環境問題に真剣に向き合っていますが、どうしても自分の身近な問題が先に浮かんでしまいますね.......。

沖さん
「水の恵みは、水道の水だけではありません。食べ物とか着ている服とかにも、大量の水の恵みが詰まっているということをまず、理解することが大切です」
1人が1日に飲む水は、1リットルから2リットル。
トイレや入浴、洗濯などに使う水道水は、多い人で400リットル。
そして、毎日食べる食料の生産には、雨水を含めて2000から3000リットルの水が使用されています。

www3.nhk.or.jp

 

 

 ネットでこの本の紹介があり、安倍政権を批判しまくりと言っていましたが、具体例として分かりやすいから、樫村先生が固有名詞を上げたんだろうなと、真剣に通読したらそう思いました。フランスと日本は本当にきちんと比較できるのか?比較の対象にお互いがなるのか?は議論が必要かもしれませんね。

美しい国の危険

 会の流動化がもたらす問題は、このようなフランスでの活発で厚みのある議論に比べて、日本では左翼的・政治的な狭い領域内部で議論されている。存在論的・哲学的な厚みをもって議論されているわけではない。

 くから社会の分裂病化(社会の「恒常性」の欠如と同義である)を理論的に問うてきた社会学者の大澤真幸や、経済厚生的観点を拡大して社会を展望してきた経済学者の金子勝らが、過剰流動性がもたらす危機に警鐘を鳴らし、これによって社会が解体しないような社会設計を考えてきた社会学者のの宮台真司などは、この問題を提起している。が、フランスのように、学者の中でコンセンサスのある主流の議論にはなっていない。

 れゆえ、その間隙を縫うように、気分的、ヒステリックな議論が保守派の人々から主張される。それが退けられずに人々の支持を得るのは、単に流動化への不安さからくる曖昧さのせいだけではない。人々が直観的に精神の安定や教育の条件として、「恒常性」の必要を感じているからだろう。〜

夜のうたたねと、新型コロナワクチン開発に貢献もスパイ扱い…カタリン・カリコ氏が放った"毅然とした主張"と、【これに対し精神分析論は、「反復強迫」という現象――人間は快樂を求める動物的回路に閉じておらず、苦痛や外傷をわざわざ繰り返し求めたりする――に着目し、人間を非定型性の観点から捉えている】

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 今日は2つ会議があり、朝からバタバタ!空を見る暇もなく(笑)、空を見上げたのは、入浴介助が終わってからでした。お月さんがキレイでした!

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 樫村愛子先生が書かれている、愛知大学の文化論叢の134号と、135号をお願いしたら、今日午前中に来ました。迅速丁寧な対応感謝致します!

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 本格的な冬に備えて、去年は段ボールでしたが、今年は少し予算が出たので、プラ段になりました!とは言え、端材も使用しています。ファンは自分の作品用にストックしていたものを放出!

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 自分たちの仕事は、利用者さん達の心と身体を整えさせて頂くことです。

それも、ご本人さんが気付かないように、また、心的外傷にならないように行動変容出来るように、精神分析的な支援方法を構築させて頂いています。

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 今日はなぜかピックが見当たらず、パンの袋についているやつを使わせて頂きました(笑)。少しジャリジャリいいますが(笑)、使えます(笑)!昨日も今日も音楽三昧でした!

 

 

成功をおさめたらおさめたで、いろいろありますね。周囲は気にせず反復あるのみですね。魔法なんてないから。

 新型コロナワクチン開発の立役者、カタリン・カリコ氏は約40年間にわたりmRNAワクチンと向き合ってきた。東西冷戦の中で不景気だった母国・ハンガリーでは行き場を失い、渡米しても研究成果はなかなか認められず……。苦難の末にワクチン開発に成功し、授賞式のためハンガリーに帰国した彼女にスパイ疑惑が向けられた――。

president.jp

 下記はなぜ樫村先生が精神分析的に物事を見る必要があるのか?のひとつの回答を示していると思われる文章です。

  〜ティグレールの項で、「動物化」に触れた。が、人間は厳密に言えば、本能についても非定型的である。それゆえ、どこまでも食べ続けたりセックスし続けたりするなど、コントロールが利かない。

 の意味で、人間を動物として考える議論も、人間を合理的・利己的な観点から考える議論も、一つの文化的範型でしかないものを「本質主義的」に捉える(人間とはもともとそういうものだと考える)過ちを犯している(これに対し精神分析論は、「反復強迫」という現象――人間は快樂を求める動物的回路に閉じておらず、苦痛や外傷をわざわざ繰り返し求めたりする――に着目し、人間を非定型性の観点から捉えてい)。

 ィルノは、さらに資本主義が生政治的なものとなる(生活のあらゆる領域に浸透する)とき――健康になるためや美しくなるため、あるいは幸福になるための商品などを提供するようになるとき――ハビトゥスブルデューの概念で、無意識的な慣習化された行為)」は、「ハビトゥスをもたないハビトゥスや「便宜主義的なもの」になると指摘する。〜