うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

最近の空と、今日のうたたねと、渥美にバンクシー?ちょ、量子力学が投げかける究極の問い──「物質は実在しない」は本当か?と、【クラインはすでに生後一歳前後の乳幼児が、ベッドをともにし、性的な一体として結合した父母に対して、激しい羨望の情を起こすと言います。】

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空を見て感動の毎日!


 

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  今日も皆さん賑やかで、笑顔で一日が終えたこと感謝です!

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 朝、伊良湖までドライブに行ったら、途中でハットしました(笑)。バンクシーが渥美まで来ていたのですね!



 フロイトの心理学的草稿やマルクスの研究ノート等、古い文献が注目されつつありますね。

量子力学の解釈問題

ニールス・ボーア photo by gettyimages

 

 下記も現場で、一人の利用者さんを自分にしか見れないと勘違いしてしまうと、同じようなことが起こりますし、それをきちんと解決しないとエディプス・コンプレックスをきちんと乗り越えなかったような状況になりますね.......。

三者関係の世界 父と子どもの抗争
エディプス・コンプレックスの出現
 〜三者関係の世界は、愛と憎しみ、羨望と嫉妬、競走心と優越感、倫理規範と罪悪感などがうずまく世界です。
 れは家族の中で起こるがありますねすでに家族も一つの小さな社会であって、この中で子どもは社会的な人間になる訓練を受けることになりますが異性への愛着と同性の親との争いという近親相姦的な情念のこの世界は、羨望と嫉妬に色どられています。
 ラインはすでに生後一歳前後の乳幼児が、ベッドをともにし、性的な一体として結合した父母に対して、激しい羨望の情を起こすと言います。
 れはフロイトが、原光景(性行の場面を目撃すること)と呼んだ体験を意味しています。その時、子どもは一方で意味の理解出来ない不安と不気味さ、不可解な興奮を経験しますが、同時に自分もまたその父母の結合のなかにわりこみその中に入り込みたいという激しい衝動を起こします。〜

今日のうたたねと、一日中感動と、TSMCの半導体工場日本に 何がすごいの?と、【この初期の段階で幻覚的な満足があるわけです。だから幻覚的な満足がもっとも全能感の根源的なものなのです。】

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 今日は珍しく女子ばかり!皆さん楽器女子!賑やかでした!
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 朝は何だか冬の日本海みたいな空で、雰囲気がありましたが、

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  日中は一転して眩しいくらいの晴天!

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 夕方はきれいなお月様が出て、一日空で感動させられましたw。


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 道端に落ちていたイチジクが、なんか冬の到来を告げているかのようでした.......。


 下記は、石橋先生にご指導頂いたので気になった記事でした。

ある程度の量は必要かも知れませんが、既に質の時代になっている気もしますね。

半導体はAI=人工知能や5G、データセンターや自動運転技術など成長が期待される分野に不可欠な部品だから、各国とも必死なんですね。

ここにおもしろいデータがあります。

ボストンコンサルティングアメリ半導体工業会の調査によりますと2019年の日本の半導体製造能力は世界の17%を占めていて第3位です。台湾の20%、韓国の19%には及びませんがアメリカの13%や中国の16%を上回っています。

製造能力では日本は頑張っているんですね。

豊永デスク

ところが、アメリカ、中国が巨額の政府補助で設備の増強をはかっていけば、日本のこの17%の製造能力は米中に抜かれて小さくなっていき、やがては自国で半導体がつくれなくなるおそれがあるのではないかと日本政府や産業界は懸念しているのです。



 下記も現場で気を付けないといけないことです。全能感が凄い方は必ずではありませんが大多数の方が、きちんとエディプス・コンプレックスを乗り越えておられない方ですね。これも利用者さんだけではなく、支援者にもあてはまります。そのあたりをきちんと補えるような支援や指導が出来ないとお互いに全く成長できずに、同じ轍ばかりを踏むことになってしまいます。

ころで、フェレンツィは赤ん坊というのは大きな全能感を持っているというのです。赤ん坊には何も能力がない。だから、逆にもっとも能力のない人間が、もっとも大きな全能感をもつという逆説的な認識がそこにあるのです。
 ん坊はまだ手足も満足に動かせない。口をきくこともできないから、母親に対しておなかがすいたという意思表示をするためには泣くしかない。すると、母親は「おなかがすいて、オッパイが飲みたいのだな」とだいたりオッパイを飲ませたりする。赤ん坊にしてみれば、自分が何かを心に願えば、ちょっと表情を動かすだけで満たされてしまうことになります。
 の初期の段階で幻覚的な満足があるわけです。だから幻覚的な満足がもっとも全能感の根源的なものなのです。〜

今宵の月と、たくちゃんのベッドと、【人間の心が原始的な段階にあればあるほど主観的な全能感は大きい。この全能感とは、自分が心のなかでなにかを願えば、それがただちに外界の中で満たされるという感覚です。】

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 アップを忘れてしまう日が多くなりました(笑)。皆さん元気に毎日過ごされています。
空も毎日きれいで感動ばかりしています。

 

 

 現場でも万能感を感じることが多いですが、それは利用者さんだけではなく、支援者にも言えることです。そんな時にはきちんとその方に説明をしないと、勘違いをしてしまいます。繰り返しますが、利用者さんだけでなく、支援者にも言えることです。

子どもは、なぜ「全能」か
 互いを移行対象として以上に見ようとしない世界。それは全能感の世界に近いものです。自分の思う通りになる世界というわけです。この点ウィニコットにさきだってフェレンツィは、全能感(omnipotent feeling)と錯覚の問題をかなり系統的に論じています。
 間の心が原始的な段階にあればあるほど主観的な全能感は大きい。この全能感とは、自分が心のなかでなにかを願えば、それがただちに外界の中で満たされるという感覚です。
 初研究されたのは、フロイトによる思考の全能ということです。いわゆる強迫神経症の患者はみなそうだと言われています。たと、自分が「あんな嫌な奴、死んでしまえ」と心で思うとその人がほんとうに死んでしまった。「明日の試験嫌だから、雪が降って電車が止まってほしい」と思ったら、翌日ほんとうに雪が降って電車が不通になって試験を受けられなかった。このようないわば念力というか、心でほんとうに思えばその願いが叶ってしまうというのが全能感です。全能感というのはこのように定義して使います。〜

うたたね茶会と、今日の月と、【いまの若い人は、それに代わるものとして、同時にいくつものことをしたりするような、ながら族的な別の多角的自我機能が発達しているわけで、いまの若者な方が昔より劣っているというような問題ではないのかも知れません。】

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 今日はうたたね茶会がありました。皆さん気持ちが静かになられるのは、やはり日本人のDNAがそうさせてしまうのでしょうか?

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 今日もお月様がキレイでした!

 

 

 下記の各政党に1つずつ言いたい(笑)ことがありますが、新しいお金の生み方を考えない限りは、雇用も賃金も増えませんね。難しい問題です。簡単には答えは出ないですが、良い意味でのイノベーションを起こし続ける必要がありますね。

 下記は、歌は世につれ世は歌につれですね。時代を映すのは若者かも知れませんね。

 れは生活全体がそういう傾向にあるのです。幻想というものは、ある種の欲求不満、つまり現実がある程度満たされないということがあると発達する。しかし、いまはどちらかというと、現実のなかで欲求を満たす方の条件が発達してきていて、なるべくフラストレーションが幻想という方向にいかないようになってきている。
 れが、かつて精神機能、精神能力と言われていたものを、衰弱させている面があるのでしょう。  かし、それは精神機能全部が衰弱しているのではなく、その部分が衰弱しているということにすぎません。
 まの若い人は、それに代わるものとして、同時にいくつものことをしたりするような、ながら族的な別の多角的自我機能が発達しているわけで、いまの若者な方が昔より劣っているというような問題ではないのかも知れません。〜

昨日のうたたねと、スーパーの棚は“空っぽ” イギリスを苦しめるのは…と、【幻想機能によっていままで自分が行ってきたことを、外的なマスメディア機能によって代行してもらってしまっているような部分があります。】

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 昨日も笑顔で一日が終えられたこと、皆様に感謝です!


  個人的には、Uber Eatsとか、聞こえの良い、空いた時間を!空いた時間で!と言うのはなんだか空虚な感じがしていました。このコロナ禍で、不確実性が高まる中、そんな不安定な仕事しかなければ、人材不足になるのは目に見えていたはずです。サービスの経済化自体が主婦など家庭の大黒柱がきちんと日々の糧を稼いでくれる人間がいて初めて可能になるのではないでしょうか?雇用者が欲しい時だけというのは、労働人口の何パーセントがその中に当てはまるのか?不安定な収入・仕事量で誰が安心・安全感をもって日々暮らすことが出来るのか?ソンタクが言うように戦争も他人の不幸も、ただ流れ去る映像の中だけのように見えてしまっているのでしょうか?

 自分は流通論の最終レポートでその辺に触れました。下記とは少し逸れましたかね。


 

  下記はおそらく30年くらい前に書かれたものですが、ぴったりと現在にはまっている気がするのは自分だけでしょうか?

一例として、このような観点からしばしば口にされる現代の活字離れの現象を考えてみましょう。
 字文化では精神生活の中で小説を読むという作業が大きな比重を占めていました。この場合、文字から入ったものについていろいろなイマジネーション=想像作用を起こして、そのイメージに自分の抱いている幻想をいろいろと結びつけて肥大させて読んでいくという作用があります。
 かし、いまの若者は活字文化と映像文化という違いがあるせいで、そういう意味の幻想機能がとても退化しています。幻想機能によっていままで自分が行ってきたことを、外的なマスメディア機能によって代行してもらってしまっているような部分があります。
 ならば、小説を読んでそのなかの女性なら女性をいろいろ空想して、それを心のなかに抱くという能力が非常に高かった。ところが、いまの若者は本を読んでひとりでいろいろ幻想を深めることをしない。映像で見てしまって、具象的な形で知覚することからはじまるわけです。それが活字文化と映像文化の大きな違いです。だからいまの若者は幻想能力は貧困化しているが、視覚的な能力が発達しています。〜

昨日のうたたねと、小3男児がまとめたアトピー性皮膚炎の自由研究がスゴすぎ 「アトピービジネスまで踏み込むとは…」と専門医も驚嘆と、【つまり幻想と現実は、非常に複雑に織りまぜられているのです。】

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 昨日は公園に行ったり、近くのコンビニに行ったり!

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 昨日も今日も蒸し暑いですね!夜勤帯の室温管理が非常に難しいです........。

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 皆さん笑顔で一日が終われたこと感謝です!

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 入浴介助が終わってやっと送迎車を駐車場に置きに行く頃が出来ました。ご褒美のようなきれいな夜景が!


 

下記は少し前のものですが、本当に凄いですね!アトピーの方の入浴介助は、皮膚を傷めないように、傷んだ個所は丁寧に洗って、清潔の保持に勤めています。入浴後の保湿クリームの塗布も気が抜けません。この一連の工程をきちんとこなせば皮膚の状態が比較的きれいに保つことができます。一回崩れたらまた時間をかけて直していきます。

 

 

「あとがきにある医療リテラシーの高さは、小学生とは思えないレベル…」

ほむほむ@アレルギー専門医さん(@ped_allergy)がTwitterで紹介した、小学生によるアトピー性皮膚炎の自由研究が「大人も舌を巻くクオリティだ」と注目を集めています。「ぼくをなやますこのかゆみ、どうやってつき合う?てっていかいぼうだ!オー!!」と勇ましく幕を開ける全46ページ(と、参考・引用文献リスト2ページ)。皮膚の仕組みやアトピー性皮膚炎が起こるメカニズムと病態、治療に使われるステロイド剤の種類などをおさらいしつつ、自身が取り組む「舌下免疫療法」についても経験を踏まえて調べ上げ、イラストや画像を交えてわかりやすくまとめてあります。



 ライヒのキリストの殺害を読ませて頂きましたが、人間は全てワナの中に居て、出口を知っているが、出ようとすると殺されると!分かったような分からないような個所でしたが、そういうライヒ自体がキリストのような死に方になってしまったのが皮肉と言えば皮肉ですね..........。下記を読んでいたらふとライヒを思い出しました。

幻想の価値
 想のなかには、現実にかなえられないものを代わりに満たそうという、ある積極的な意味があります。ともすると幻想を現実から遊離したものとだけみがちでしたが、以上述べたイリュージョンの観点から幻想を省みると、むしろ幻想機能があることで初めて現実に価値が出てきたりしている側面がはっきり見えてきます。
 間がいろいろ現実的なことにかかわっていくときには、ほとんどがイリュージョンの形で、このような幻想生活をもつことで現実の価値を再生産して価値づけられていくという面を持っているのです。
こでさきに述べた幻想を現実に仮託していくということも出てきます。つまり幻想と現実は、非常に複雑に織りまぜられているのです。〜

 

 

 

 

 

アトリエ・カーグと歌のないバンドクラブと、タイムよりタイミングと、【逆説的ですが、その妄想から目覚めるときが危機なのです。子どもが青年期になって、客観的にそういう関係を見られるようになって、その世界から脱出しようとするときが分裂病に陥りやすい。】

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 昨日はアトリエ・カーグと歌のないバンドクラブの日でした!

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 その前に女子たちは散歩に行って、自販機でジュースを買われた様子!

 

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 今日の画題は一体何だったのでしょうか?でも、楽しそうでした!

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 バンドは新しいユニットが生まれていました!

 



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午後からは、女子も男子もすろーの湯に行きました!

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 帰宅時にきれいな三日月が出ていましたが、自分の携帯ではいつものごとく、これが限界です。


 

 下記は現場や経営では本当に大事なことですね。

 

「タイム」と「タイミング」の違いについてもう少し教えてください。

「タイム」は(仕事に)かかった時間で、「タイミング」は(仕事を)いつやるのかということです。

 

同じ10時間の仕事をしても、締め切りに遅れるのと、締め切り3日前に出すのは全然結果が違うじゃないですか。

 

 

たしかに。

なぜ「タイム」よりも「タイミング」の方が重要かというと、「タイム」は個人で解決できる問題ですが「タイミング」は自分1人が遅れるとチーム全体のタスクに影響を与えてしまうからです。

www3.nhk.or.jp

 

 最近なぜか?黒地になってしまいます(笑)。原因が分からず、まあいいやで済ませています(笑)。

 下記は移行期間が終わって社会に出るときもそうですね。

 〜どもの親離れの場合でも子どものときから、親に対する仮託性というものが、どこかでわかっていて、親もただの人間であって理想的な面ばかりではなく、こんな欠点もあるし、しょうがない面もあり、もう一方で理想的なよい親の面も見ているという健康な子どもは、スムーズな親離れができます。
 ころが、理想的な親像を実際の父母に投影して、その内的幻想と外的現実のくい違いを現実吟味することなしに、歪んだ親像がこり固まってしまっている人物が分裂病になる場合が少なくない。
 とえば、家族じゅうが父親を理想化して、理想化した面でしか見ない場合があるとします。その父親がとても変わった人で、常軌を逸したようなことを子どもたちに命令しても、子どもたちは偉い人がすごいことを言っているのだとしか受けとらない。
 ねに理想的な父親像の面でしか受けとらないという家族があります。分裂病が出てくる家族にはそうした父子関係が多い。  これは健全な共同錯覚の世界とくらべて病的な共同幻想の世界と言えるものです。共同幻想は現実検討されず、容易には幻滅が起こらない。ところが、その中でこの共同幻想から目ざめて父、母のイメージに対して幻滅を起こした子どもに分裂病が発症する。
 
しそのまま共同幻想のままに過ごせば、一種の妄想の世界にいられるので、その環境のなかにいる限りでは異常に見えないわけです。  説的ですが、その妄想から目覚めるときが危機なのです。子どもが青年期になって、客観的にそういう関係を見られるようになって、その世界から脱出しようとするときが分裂病に陥りやすい。脱出はしてみたものの、その幻想を共有していた自分しかもっていないから、そこで自分が真空地帯に落ち込んでしまうのです。

昨日のうたたねと、天才プログラマーの「けしからん」革命と、【ドイツ語で遊びをシュピール(Spiel)と言いますが、シュピールには演劇の意味もある。つまり、遊びの世界と演ずるということはとても深い関係があるとフロイトは言っています。】

 

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またまたアップし忘れていました……。

  スマホの充電器の形がヨーロッパでもcタイプに統一されるような風潮にありますね。GAFAが嫌なら使わなければいいだけだし、企業同士が一緒にやれば持っている物だけで十分凄いことができますね。

日本からGAFAのような革新的なサービスを世界に提供するIT企業は生まれるのか?

「十分にできる」

確信を持って言い切る男性がいる。登大遊、36歳。天才プログラマーと呼ばれ、ソフトウエア開発の分野で数々の実績を残してきた登さんが考える、イノベーションを起こすためのキーワード。

それは「けしからん」

ついつい、既存のルールや常識にばかり気を取られがちな人にこそ、読んで欲しい。「アメリカや中国に十分勝てる」と言い切る登さんからのメッセージだ。

www3.nhk.or.jp

 

 この辺りは、やはりウィニコットが思い浮かびます。自我は本当の自分ではない.......。私は本当は実在していない......。等々他にも色々と思い浮かんでもいますが......。

 イツ語で遊びをシュピール(Spiel)と言いますが、シュピールには演劇の意味もある。つまり、遊びの世界と演ずるということはとても深い関係があるとフロイトは言っています。
 健全な夫婦関係や親子関係などは、どこかでお互いが親であることや子どもであること、あるいは夫であることや妻であることを演じている部分、つまり理想的な像を相手から期待されたり、仮託されていることを知って、お互いにその役割を演じている部分があるのです。
 から、夫は妻に夫像を仮託されていると思うと、他の人間関係とは違って夫らしく振る舞おうとするし、妻も妻らしく振る舞ってほしいと期待する。そのような能力がお互いにある夫婦はうまくいくというわけです。
 こには他の人間関係にはない役割関係があるのです。しかし、ほんとうには一致しえない、つまりイリュージョンであるということをお互いに知って、それを共有しているという面がある。だからそれはいわば“共同イリュージョン”“共同錯覚”の世界なのです。〜

本が来ましたと、昨日のうたたねをちらりと、【子どもの遊びは、願望充足を目ざす幻想作用を、現実の目に見える、手に触れるものに仮託することによって営まれているというわけです。】

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 昼に本が届きましたが、一気に読んでしまいました。機会があればまた感想を書かせて頂きますね。良い本でした!

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新しくうたたねに入られた方のベッドを2階に運びにだけ行きましたが、女子が楽しそうに過ごされていました。

 

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 またまたアップし忘れていました。

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 皆さん笑顔で終われたこと感謝です。

 下記は、個人的にはやはりウィニコットを思い出しますが、全てはフロイトに繋がっていますね。精神分析じたいをフロイト派と見れないものでしょうか?

リュージョンの世界には、このように一種の「ごっこ」性があります。健康な子どもであれば、その使い分けが自由にできます。健康な恋愛も同様かも知れません。また、人間関係はすべてこのような面があるでしょう。
 ロイトはこの現象を「仮託」という言葉で説明しています。子どもの遊びは、願望充足を目ざす幻想作用を、現実の目に見える、手に触れるものに仮託することによって営まれているというわけです。〜

今日のうたたねと、教育系YouTuberの第一人者 誰しも平等に 教育を受けられる世界にと、【子どもは遊んでいるときはとても真剣である。真剣ではあるけれど、一方で子どもは遊びの対象を幻想しているものとまったく同じだと思っているわけではない。】

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やっとカーンバーグの上巻を読み終えました……。難しくて中々進みませんでした。

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 朝、ルーチンの読書をしようと玄関にカマキリがいました。これは寝ているのでしょうか?お腹が大きいので、産卵に備えてそうですね。

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 最近毎日大家さんのねこさんが玄関で寝ているので、気を使いながら(笑)、出入りさせて頂いています(笑)。

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 今日も笑顔で1日終えることができ感謝です!


 

 下記は大学院の講義のゲストで、有料のを運営されておられる方のビジネスモデルをお聞きさせて頂きましたが、貧困家庭のことは全く考えておられませんでしたが、葉一先生は考えられておられるので、貧困家庭出としては非常に嬉しいし、頼もしいです!

葉一は「自分が救われた」と語る。

「自分が人の役に立つということを初めて教えてくれたのがその子たち。『自分は世の中にとって必要ない人間。死にたい』と思っていた自分を救ってくれたんです。このとき、絶対に一生、教育に携わり、子どもたちのために生きていく、と決意したんです」

 

 

 下記のように出来る方は、正常な方ですね。しかし、だつ錯覚を自分たちは考えないといけない時が多いです。寄り添うことは比較的簡単ですが、離れることは難しくて、中々出来ないし、逆に共依存になってしまう支援者が多く見られますね。自分たちはそうならないように努力させて頂いています。

3幻想と錯覚 主観と客観の交錯する世界
ごっこ」と共同錯覚
 実のところ夫婦の場合でも親子の場合でも、精神的に健康な人間であれば、半分それが錯覚であるとわかっているのが幻想とはちがうイリュージョンの特徴です。
 わかっていてしかも演じるわけです。相手が完全に自分の思っている通りの人間ではないことがわかっている。わかっていながらその人に自分の理想像を託す、それがノーマルな恋愛というものです。  このような認識はすでにフロイトが指摘しています。フロイトは遊びのことで次のように述べています。
 子どもは遊んでいるときはとても真剣である。真剣ではあるけれど、一方で子どもは遊びの対象を幻想しているものとまったく同じだと思っているわけではない。〜