うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ブドウとイチゴと、今日のうたたねと、「資本論」への関心高まる コロナ禍で“経済格差”など意識かと、【このように「不可能」を「禁止」に変えることで「不可能」を隠蔽するのが神経症者の戦略である。】

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  今日は午後から、男子だけすろーの湯に行きました。ブドウがシッカリと結実していました!

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  イチゴも2年前に壊滅したと思いましたが、立派に復活!来年の春には沢山のイチゴが採れそうですね!

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 やはり大きなお風呂は皆さん大好き!

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 夜には変な方が(笑)!

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 利恵さんお片付け!

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  順番でスッテプ台をされていました!

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  今日も皆さん笑顔で終えることが出来、感謝です!



 昨日、下記のニュースがありました。マルクスの研究ノート、フロイトの心理学的草案と、古典が見直されていますが、本当に凄い物は時代なんか関係ないのかも知れませんね。

およそ150年前に資本主義のメカニズムを分析した思想家、カール・マルクスの「資本論」への関心が高まり、関連する書籍が人気を集めています。
出版社などは経済格差や環境破壊などの社会問題がコロナ禍の中でより意識されていることが、背景にあるのではないかとしています。

資本論」は、ドイツの思想家、カール・マルクスが1867年に発表した著作で、資本主義のメカニズムをひも解き内包する問題点などを鋭く分析したもので、その後の経済体制のあり方などに影響を与えました。
出版社などによりますとコロナ禍の中、この「資本論」への関心が高まり、内容を解説した本や資本主義社会をテーマにした関連書籍に注目が集まっています。

 

  色んなコミュニケーション理論が展開されていますが、中々難解です。何度も読み返してやっと少しだけ(笑)理解できたかのような錯覚が得られます(笑)。

3 社会のコミュニケーション理論
1 ハバーマス
 〜様にハバーマスは、フロイトの「無意識」を「抑圧された無意識」として捉え、「無意識の完全な意識化」の可能性を想定している。が、このような無意識の規定そのものが、精神分析的に見れば、無意識を「禁止」において捉えようとし無意識の存在を認容できない神経症的把握である。無意識とは蓄積されたシニフィアンの結合であり、そもそも意味とはこれに規定されているのであるという事態は、世界を決定的に真理付たいとする神経症者の欲望からすれば許容し難いことであろう。

 えに無意識は抑圧(禁止)によって存在するものとして措定され、抑圧を取り除けば、意味の深淵(不決定性)などというものは存在しなかったことになる。

  にとっての生活世界は、この禁止される無意識と同様のポジションにあるという漸進的に合理化され、理想的発話状況へ向かうものとしてのみ、それは存在を許されていることしかし「禁止」とは、「禁止されたものを欲望する」ことと表裏一体である(ラカン1975)。

 の理念は不可能であるにも関わらず、むしろ彼の理念の存在を可能にするためには、彼の理念の存在を「禁止」する生活世界が立ちはだかっていなければならない。そして「理想的発話状況」は不可能であるにも関わらず、禁止として措定されている限り、この不可能性は隠蔽されているのである。

  のように「不可能」を「禁止」に変えることで「不可能」を隠蔽するのが神経症者の戦略である。

昨日と今日のうたたねと、石油の巨人、歴史的な敗北と、【妄想型分裂病者は、他者に対する異常な猜疑心でしばしば人を不愉快にさせるが、彼が疑っているのは、本当は自分自身における真理ー意味決定なのである。】

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 昨日は主任さんが寄付してくれた、ステップ台で女子が頑張っていましたが、今日は男子も頑張ったと、主任さんが写メを送ってくれました!

 今日は休みを頂いていましたが、レポート三昧でした(笑)。段々高度な知識がいるようになってきました......。ついて行けるでしょうか(笑)。


 下記は、今日のレポートと少し関連しています。しかし、今は環境もそうですが、人権にも目を向けないといけませんし、グローバルサウスがこれからどう変化していくのかが、見どころですね!先進国だけがCO2などを削減できたとしても.....ですね!

 スーパーメジャーと呼ばれるアメリカの巨大石油企業「エクソンモービル」が、ごくわずかの株式しか持たない新興の投資会社に“歴史的な敗北”を喫しました。投資会社が行った株主提案が、会社側の反対にもかかわらず多くの株主の賛同を集め、取締役を送り込むことに成功したのです。カギになったのは、世界的に機運が高まる気候変動対策でした。


  本当は下記をアップしようと思っていましたが、NHKのニュースランキングで1位になっていたので、上記のニュースにしました。

 

 下記は、この文章が全てを記述してくれているように感じました。

 『妄想型分裂病者は、他者に対する異常な猜疑心でしばしば人を不愉快にさせるが、彼が疑っているのは、本当は自分自身における真理ー意味決定なのである。』

 

3 デビドソンにおけるコミュニケーションの可能性
 〜によれば、「われわが実在と呼ぶところのものは、我々がそれを同定する方法から独立にそれと同定されるような何ものかではない」のであり、「我々は他人の発話に関して一つの真理の理論を推測するとき、我々は彼に対して一組の整合的な信念と発話というものを調整する。その場合、整合的というのは、我々自身からみて整合的というのであって、我々はそれ以上の視点を持っていないのである」。

 のように、彼にとって真理とは、言語の使用可能性と結合しており、また共同的な人間世界を構成可能にする、具体的実践方法である。精神病者はこの「真理」の構成の不可能性を抱えている。

 えば人の発話の意味(の決定)を懐疑し始めればどのようなことになるか、ラカンが挙げる有名なユダヤ人のエピソードをみてみよう。これはフロイトにおいては「機知」(フロイト1901)として紹介されているエピソードだが、ラカンは発話の意味の懐疑へと、文脈を変えて記述している。すなわち、二人のユダヤ人が出会う。「どちらへ?」と一人が尋ねると、「クラカウまで」と答えが返って来る。「おい、お前さんはなんて嘘つきなんだ」と先の男が腹を立てて言う。「お前さんクラカウまでと言うとき、本当はレンベルクへ行くじゃないか。何でお前さんは嘘をつくんだい」


 の発話は精神病者の妄想に近い。「クラカウ」という発話の意味を、普通私たちは「嘘をつくために」発されたものとは思わない(特別のイントネーションや表情が伴わなければ)。しかしこれが真実だという保証はない。確かに相手が嘘をつくことは可能なのであるし、右のような事態も状況においては成立するであろう。このように、我々が発話の「意味」を通常決定するのは、確かに「真理」に対する信念に支えられた決断においてなのである。

 ビドソンの議論においては、自身が「真理」を構成する方法が他者にも適用されているのであり、真理論はコミュニケーションの可能性と通底していることに注意しよう。

 身の意味作用の可能性と、他者とのコミュニケーションの可能性が通底していることは精神病者をみればわかる。妄想型分裂病者は、他者に対する異常な猜疑心でしばしば人を不愉快にさせるが、彼が疑っているのは、本当は自分自身における真理ー意味決定なのである。

昨日の空と、今日のうたたねと、”イケてる福祉施設”を作れば、障害者が「かわいそう」なんて誰も思わなくなると、【コミュニケーションと他者は、家族の存在、あるいは「愛」というものの自明性が根底的に疑われだしたのと同じように、その存立可能性そのものを、歴史的に初めて問われているのである。】

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  昨日はスーパームーンとのことでしたが、講義が終わって外に出てみたら、終わっていたのかな?でも、昨日もきれいな空でした!

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 今日はお天気は悪かったですが、うたたね内は、笑顔と笑い声が溢れていました!

 

 下記は、唯一メールをやり取りしてくれる院生から送って頂いた記事です。

興味深いところも沢山ありましたが、現場にいる人間として下記の2つは間違っていますね。

 これは本当にそうかな?
そしてここからが肝心な話なのだが、実は福祉には主に二つの極端な業者が存在する。一つ目は施設がボロボロであるがゆえにボロ儲けしている業者だ。

 

 こちらは間違っていますね!当NPO法人税を約60万円支払いました(笑)。

「非営利」は法人税がかからないため、なかにはその分まるまる株式会社よりも潤っている可能性もある。

 

 こういう記事を......と思ってしまいました。うちは音楽やアートをきちんと取り入れていて、ダサくない(笑)ですよ。それに支援も精神分析の対象関係論や人間関係論を軸にして、メンタルの部分もきちんとサポートさせて頂いています。

 

 大分前に第2次安倍内閣でしたか?の所信表明で使われていた『変化は流れの中にある』を、全国紙の記者が岡倉天心の言葉だと書いていましたが、それは岡倉天心老子からの引用とはっきり書いていました。ワイドショーや今のマスメディアさんは大丈夫でしょうか?と、ふと思いました。


  偶然でしょうか?下記は上記に近いことが書かれています。

2コミュニケーションの構造
コミュニケーションと主体の意味作用
1はじめに
 〜一方、今日のコミュニケーションをめぐる状況を見ると、コミュニケーションが依拠していた共同体や家族等が解体しだし、その内部に暗黙のうちに包摂されていたコミュニケーションが、人々のあいだでその自明性を失い出している。

 族の機能が切り詰められ、メディアコミュニケーションが社会を覆いつつあるように、従来のコミュニケーションの機能は人工システムによって代替され、そこではコミュニケーションや他者の機能は極度に切り詰められ、「純粋化」し始めている。コミュニケーションと他者は、家族の存在、あるいは「愛」というものの自明性が根底的に疑われだしたのと同じように、その存立可能性そのものを、歴史的に初めて問われているのである。

 まり「具体的他者」が担ってきたいくつかの機能を、人々が必要としなくなることで、人と他者との具体的関わりが、いったいどのような可能性において残されているのか、それが主体にとってそもそもどのような作用を持っているのか、ということが問われ出したといえるだろう。

 して他方、単一の共同体によって保証されていたコミュニケーションの自明性が、テクノロジーの発達や資本主義の拡大に支えられた社会の国際化によって崩れる中、異文化間のコミュニケーションという、新たな問題の考察のための枠組みも求められている。

キレイな空と、今日のうたたと、“なぜ傍観したのか?”フロイドさん事件 知られざる差別の構図と、【フロイト(1927)は「あらゆる文化は強制と欲動断念とを基礎とせざるを得ないように思われる」と述べている。】

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  先週の予報では今週はずっと雨でしたが、見事に外れて良いお天気が続き、空が毎日きれいです!今日も見とれていました。

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 今日も一日笑顔で終われたこと、感謝です。

 

 対話というのは、思想や立ち位置によってどれだけ差があるのか?本当に難しいですね。

ミネソタ大学 オオニシ学部長
アジア系アメリカ人をはじめとする移民たちは、黒人のように扱われないように最善を尽くしてきた。社会のヒエラルキーの中で“良い移民”とは“黒人のようにならないこと”を意味します。すなわち白人の利益につくのかそうでないのかという”立ち位置”の問題なのです。“良いマイノリティ”になることは、アメリカンドリームを達成することと深くつながっているのです」


マテオさん
「私たちが目の当たりにした肌の色が違う人たちの間で起きた暴力は、アメリカでずっと起きてきた。私たちは対話を重ねなければならない。これこそ、互いを守るために必要なことだと思う」

 昨日の講義の教科書には下記が書かれていました。

「目指すべきは規制緩和などではない、議論すべきは、適切な規制とは何かと言うことである。規制なしで、機能する社会はありえない、問うべきなのは、どんな規制がよい規制なのかということである。」(ルールメイキングより)

 


 下記は「性的他者とは何か」の”注“ですが、大事なことが書かれていました。
 フロイトラカンによれば、この神経症的なメカニズムは、文化を普遍的に規定する。の“注″です。文化は何もなかったように現れるとも書いてましたね。それが神経症的、腫れ物には触らないやり方のように、個人的には感じます。

注3
 ロイト(1927)は「あらゆる文化は強制と欲動断念とを基礎とせざるを得ないように思われる」と述べている。

  たクライン(1932)は、とりわけ、対象の理想化が、本質的に破壊欲動に対する防衛であることを考察したが、ラカンはこの点を引き継ぎつつも、クラインに欠けていた幻想の象徴的次元を強調した(ラカン1958b)。

今日のうたたねと、途上国を「法」で支援する、「日本型」国際貢献が支持される理由と、【つまり真の性的他者とは、原初的身体であると共に、それ自体高度に知的な存在である。】

 

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 アップをまたまた忘れてました!

昨日も皆さん笑顔で始まり、終えることができ、感謝です!
 

 

 下記は本当に気の遠くなる仕事ですね。でも、どんな仕事でも、気の遠くなるようなプロセスを通って行かないと、マスターにはなれません。簡単になれる地位とかは、自分には興味が湧きません。

カンボジアには当初、(旧宗主国である)フランスが支援に入り、刑法・刑事訴訟法の制定に取り組んでいました。さらに民法にも関わる予定だったんですが、先述の通りカンボジアには人がいません。もうそこまで手が回らない、ということでフランスが降りてしまった。そこで、すでにベトナムでの支援活動に従事していた日本に白羽の矢が立ったのです」 民法作りは困難を極めた。通常は、当該国がまず草案を作り、それをもとに日本側の支援スタッフと議論しながら精度を高めていく。しかしカンボジアには草案を作れる人材がおらず、日本側がクメール語で作るところから始まった。 「カンボジア民法は1305条あります。それを概念の説明から1条ずつ、一言一句確認しながらやっていったと聞きます。能力と言葉のギャップがありながら、よくここまでのものを作ったと思いますね」


 やはり、ウィニコットの脱錯覚を思い出しますね!

 〜が、他者が「性的他者」としての資質をもっている場合には、事態が違う。彼は彼女の攻撃性を、口先で隠蔽することなく、正確に受け止め、むしろそれを自由にする道をとる。

 なわち彼は、彼が考えるようなしかたでは自分は彼女を必要としていないこと、しかしなおそれ以上に、やはり自分は彼女を愛していることを語るだろう。それは彼女の攻撃性の抑圧を解くと共に、自らその攻撃性を受け止め、受容し、彼女がその攻撃力を自己の本源的欲望として維持し続けるための、原初的ー性的な対象へと自らをなす行為である。

 まり「破壊」と「支え」である。(この破壊は精神分析では分析家の対象aから「もの」への移動と表現される)。そして主体をイデオロギー=幻想から解放し、幻想的粉飾なしに欲望を肯定させるような言説が、その上さらに明確に与えられれざ、その破壊は確かとなり、しかも彼女は、その破壊がもたらす幻想の空白という危機を、性的他者の、まさに現前する原初的ー身体的他者としての支えによって乗り切っていく。

  こからわかるように、破壊だけでなく「支え」もまた、それが想像的ー隠蔽的でないためには、何らかの精神分析的知識を必要としている。

 まり真の性的他者とは、原初的身体であると共に、それ自体高度に知的な存在である。その極めて両義的な存在のみが、欲望の真の肯定と、イデオロギー的\想像的幻想からの解放を主体に与え、さらに明晰な世界へと導いていくだろう。

 

 

夕焼けと、ブドウの花と、今日のうたたねと、日本人は「鳥の眼」「魚の眼」「虫の眼」を磨くべきだと、【結論からいえば、これは性的他者が何らかの精神分析的知をもって、想像的対象であり続けることを拒否すると共に、最終的に主体もまた、その知を分節された形でもつことで達成される。】

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  こちらは以前に撮ったものですが、好きなので(笑)、アップさせて頂きました。

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 昼からは、男子だけすろーの湯に行きましたが、ブドウの花が咲いていましたし、既に結実しているものもありました。

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 夜はいつも通り音楽で楽しみました!

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 遅番を終えて帰ろうとしたら、お月様がきれいでした!

一日皆さん笑顔で終えることが出来、感謝です!


 下記の『優れた目利きは、膨大な量のリサーチをしています。勘だけでやっているわけではありません。』は、本当にそうだと思います。

経済を見るにもアートを見るにも「鳥の眼、魚の眼、虫の眼」が大事

では、日本には一体、何ができるのでしょうか。

邉見氏:チャイナ・アセアンで日本企業が生き残っていくためには、もちろん日本企業の強みを生かして現地で事業を展開したり、チャイナ・アセアンの企業に投資したり、あるいは優れた点を学び取って日本やその他の地域で展開していく必要があります。そのために、次の勝負は、現地企業の評価やスタンダードの持ち帰り、価値の再定義みたいなものができるかどうかというところかもしれないですね。

 前回、ベンチャーキャピタリストやギャラリストなど、目利きの大切さの話が出ましたが、どんなビジネスパーソンにとっても、評価する眼が必要になっています。その前提としての情報収集と分析です。

脇田氏:そうだと思います。まさにモノの見方ですね。優れた目利きは、膨大な量のリサーチをしています。勘だけでやっているわけではありません。

 

 

  下記は、ウィニコットが言っている、脱錯覚と同じように思えました。現場でもクラインが言うところの妄想ー分裂ポジションからきちんと抑うつポジションに移行できないと、躁的防衛になってしまうので、一番気を遣うところです。きちんと着地出来たら徐々に離れて行くと言うことの繰り返しが、現場での自分達の仕事だと思っています。

 

 今日は理事長が大きな施設の長に、色々と相談したようですが、その方の指摘は鋭かったようですね。色々策を練っていましたが、今まで通り小さな形で、きちんとした支援を目指すことをすることにしました。そういえば、日本最大の福祉法人でも、裁判の案件をいくつか抱えていると言うのを大分前に聞いたことを思い出しました。簡単に人を集めて、簡単に支援など出来るはずがないと、初心に戻らせて頂けました。魔法なんてないので、毎日毎日現場と先人の教えとを照らしながら、その方に一番合った支援方法を考える毎日です。それしかありません!

 〜題は、このような「破壊」がどうやって可能になるかである。結論からいえば、これは性的他者が何らかの精神分析的知をもって、想像的対象であり続けることを拒否すると共に、最終的に主体もまた、その知を分節された形でもつことで達成される。

 ず、主体は攻撃性の抑圧と幻想(想像的他者)の保持に腐心するので、それを打ち破る動きは、愛への一定の拒絶として、性的他者から与えられる必要がある。これは主体にあらわな攻撃性を呼び起こすだろう。

 かしそれでも、主体に明確な分析的知、すなわち「主体とは常に象徴的/想像的けによって自らを支え、原初的不安や攻撃性を抑圧し、さらに理想化という形で攻撃性を再帰させるものだ」という認識が与えられなければ、彼は不安と攻撃性に苦しみつつ、なお妻や子どもといった幻想に囚われ続ける。

 は希望や信念や、家庭の平和を維持することを、あたかも不可侵の業務と思い込み、最後までそこから出られない。

 かし上述の認識や、幻想的価値や慰安的な他者がいなくてもなお欲望をもち生き続けることを肯定する分析的知が、はっきりと主体に与えられ、しかもその上で現前する性的他者が、攻撃性の再帰と幻想の空白に苦しむ主体を「支える」なら、主体は自己の欲望を幻想的粉飾なしに肯定し、幻想を認識ー解体する基盤を獲得する。

昨夜のうたたねと、“名門の業界”を揺るがす「5兆円のイノベーション」【つまり性的他者の出現とは、現実的ー身体的な他者が主体の欲望の対象となり、主体を「支える」側面と、退行的ー幼児的な対象、すなわち十全たる幻想的対象としての想像的たが「破壊される」側面の、両者からなる。】

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昨夜は、風船割り男が出現し(笑)、皆さんを楽しませてくれていました!


 Co2だけが問題ではないのですが、少しずつ良い方向に向かえば良いのかな?グローバルサウスは?ケインズが言っていた金利生活者の安楽死は?どうなっているのでしょうか?先進国だけ良くなるというのは、何か違うなと思ってしまう毎日です。

電気と水素で鉄を作る

1つは、新しい「電炉」の技術開発です。鉄のスクラップを溶かして再利用し、電気を使って鉄を作る技術は「電炉法」と呼ばれています。石炭を使う高炉と比べて二酸化炭素の排出は70%以上減らせるとされています。

鉄のスクラップには不純物が含まれているため、生産される鉄の品質が低いことがネックでした。しかし技術開発を進めて、電炉でも自動車向けなどの高品質な鋼材を大量に作れるようにしようとしています。
もう1つの技術が、石炭から作るコークスの代わりに水素で鉄を作る方法です。コークスで鉄鉱石から酸素を取り除く還元を行うと大量の二酸化炭素が出ますが、水素で還元すると水しか出ないので、鉄鋼メーカーにとっては、“夢の製鉄法”として熱い視線が注がれているのです。

 

この技術は現在、千葉県内の製鉄所で、JFEスチール神戸製鋼所などと共同で研究開発が進められています。このプロジェクトでは、コークスと水素の両方を使う方法で二酸化炭素の削減を目指していますが、将来的には水素だけで鉄鉱石を還元する技術の研究にも乗り出そうとしています。
このほか、JFEスチールは日本製鉄や神戸製鋼所と共同で、鉄鉱石と石炭から作る「フェロコークス」と呼ばれる新しい原料の開発に取り組んでいます。従来の原料の一部を置き換えて高炉に入れることで、二酸化炭素の排出量を10%程度減らす実証実験を行っています。

神戸製鋼所は、高炉に投入する前に鉄鉱石から酸素を取り除いた「還元鉄」を用いて、二酸化炭素を削減する技術の実用化を進めています。


  ラカンはやはり難しいですが、樫村先生の記述ならまだ少しは理解出来そうな気もします。ほんまかいな(笑)!

 

4 「現実的=性的な他者」ー幻想の解体過程Ⅱ
 〜まり性的他者の出現とは、現実的ー身体的な他者が主体の欲望の対象となり、主体を「支える」側面と、退行的ー幼児的な対象、すなわち十全たる幻想的対象としての想像的たが「破壊される」側面の、両者からなる。

 勢の最終的な第三局面は、この分離しがたい両側面からなるので、その実体は極めて把握しづらい。つまり性的他者が主体を「支える」局面のみを見れば、それは第二の局面と表面的には変わりなく、性的他者の表層的ー即物的実体は、主体の欲望の退行的ー性的対象である限りで、想像的他者と同じものだからである。

 かし第三の局面では、第二の局面を支える「他者が私をもと、必要としている」という幻想が破れているので、他者が主体の内面に現れる仕方は、第二の局面と完全に異なっている。

 こでは他者は「十全たる慰安の場ー自分を必要としている大事な(価値ある)もの」としてではなく、「失墜し、破壊されてしまったもの」として現れる。

 かもそれは「極めて不完全な存在、一人の『他人』でありつつ、なお自分にとって不可欠な、まさにこの私の欲望の対象であるところの他者」として認知され、主体の存在と欲望を、ぎりぎりの所で支えきる。

梅雨空と、流出するマイクロプラスチック 稲作で使う○○が海や川にと、【母から与えられる幼児期の原初的ー口唇愛的な充足と、性的他者から与えられる性的ー身体的な充足は、実体的に似てからである。】

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 写真は昨日の朝の空、梅雨空です。大雨が降るのでまた大きな被害が出るのでしょうか?
 

 

 下記は、おそらく今日の講義、企業会計で混雑コストのところで、アイリスオーヤマさんの事例がでるので、アイリスオーヤマさんはお米もやっているので、こちらも直ぐに対応しているのかも知れませんね。 

始まりは70年代

肥料メーカーなどで作る「日本肥料アンモニア協会」によると、肥料にプラスチックが使われるようになったのは1970年代からだという。
日本肥料アンモニア協会
「日本の稲作ではイネの成長を促すため田植えや夏場に複数回肥料を与える。ただ、農家は肥料が入った重いタンクと機械を背負って田んぼの中を歩き回る必要があり、高齢化や農地の大規模化にともなって大きな負担になっていた。また、必要以上に肥料を与えることは水環境への負荷になり課題だった」
そこで考え出されたのがプラスチックで肥料の表面を覆うこと。薄いプラスチックで肥料を覆い、一定の水分が浸透すると殻が破れて中身が溶け出す仕組みだ。
殻は長時間、紫外線にあたると分解するとされている。
ほかの肥料といっしょに使うと一回まくだけで時間差で異なる効果があり、農家の手間の軽減や水環境への負荷も減らせることから発売後広く普及。「被覆肥料」や「一発肥料」などと呼ばれ、いまでは日本の水田のおよそ6割で利用されているという。

農家も知らない課題

ただ米どころで知られる宮城県専業農家、松浦正博さん(34)はコメの栽培を始めてことしで10年。仲間とともにおよそ35ヘクタールの広い農地でコメを栽培している。
松浦さんは、作業の負担が少なく、安定的な生産ができることなどから「被覆肥料」を使ってきた。
ただ、その素材がプラスチックでできていて、一部が分解されないまま川などに流出していることは最近まで知らなかったという。、肥料にプラスチックが使われていることは、コメ農家の間でもあまり知られていない。


 

  以前にも書いてしまったのかも知れませんが、サービスの経済化が進み過ぎて、心の依り代が分からなくなりつつある今、心理学化された社会ではもう持ちこたえられないので、臨床心理学化精神分析化された社会にならないといけませんね。

性的他者とは何か
3 「象徴的他者」と「想像的他者」ー幻想の解体過程Ⅰ
 〜は意識の場にいる限り、無意識の力動を知ることは絶対できず、幻想的な価値や理想が、絶対的充足への抑圧された欲望の翻訳ーー再現物であることを知ることはない。

 かし主体が幻想のものとなった、他者からの与えられる現実的充足と「再会」できるなら、幻想を支える原初的欲望と充足は、象徴的(幻想的)な意味や価値をはぎ取られて、裸のままであらわとなる。

 れは自己の欲望(充足)そのものを幻想的な粉飾を経ずに発見し、肯定し、その結果幻想から解放されること(=去勢)の契機となる。この現実充足との「再会」は、現実的には性的なもの、性的他者との出会いとしてなされるだろう。

 から与えられる幼児期の原初的ー口唇愛的な充足と、性的他者から与えられる性的ー身体的な充足は、実体的に似てからである。

今日のうたたねと、小さなまちの“企業再生請負人” コロナ禍での苦闘と、【しかし、資本主義のナルシシズムは、それでも、自分がなり得る他者(アイドル)や、フィクション(広告イメージ)などによって、その像は距離化され他者化されているだろう。】

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 アップ時は、昨日のうたたねとなってしまいました......。昨日も皆さん笑顔で終えることが出来、感謝しています!

 

 

 下記のニュースは、現在自分が学んでいることでもあります!

後継者不足の中、経営状態が良くても、M&Aという選択肢はありますね。自分達も信用できる組織になって、お互いがきちんとした支援ができる大きな組織と組めたらと、考えています。

 

信金のネットワークで「M&A」

伊藤が出した解決策は、今野商事を別の会社に買い取ってもらうことで立て直しを図る「M&A」による再生だった。

引き受ける会社には、借金の一部を引き継いでもらう必要があるものの、文房具店が長年の営業で築いてきた取引先を得られるメリットがある。
伊藤は思案の結果、買収先として信金と取り引きのある市内のソフトウエア会社に白羽の矢を立てた。この会社、全国のゴルフ場のシステム管理を行い業績を伸ばしていたが、地元での仕事がほとんどないことが課題になっていた。
伊藤は、今野商事を買収すれば、地元での事業を拡大できるうえ、買収に必要な資金は信金が融資すると説明。去年11月、買収を実現させた。

市内の企業に対して自社のシステムを売り込みたいというソフトウエア会社のねらいに、地域に深く浸透している今野商事の買収は合致した。買収によって経営者は代わったものの、文房具店の営業は現在も継続、雇用も守られた。


 

  考えたら、この本も社会学の本でした。1つのことを掘り下げるだけでも、大変な作業でせ。

 

6 セミナーの資本主義的性格
 上、セミナーの構造をみてきた。セミナーが「他者性」を食いつぶしたことが、他者性を文化的制度として保った宗教に比べ、不安定な構造を生み出すこととなった。

 れは心理療法のように徹底した認識にまで進まず、心理療法を生かじりしたせいであるとも言える。他者の機能は、成長や移行を担保する時間などを保証していたが、セミナーでは、自己の理想的対象は、すでに、他者ではなく、障害物によっていまだ全的に実現されていない自己であると設定される。

 際に理想的な他者がしない時代、自己が理想としてほれこむ相手は、自分が理想的だと思う自己へと帰着することとなるといえるかもしれない。しかし、資本主義のナルシシズムは、それでも、自分がなり得る他者(アイドル)や、フィクション(広告イメージ)などによって、その像は距離化され他者化されているだろう。

 本主義は、この距離をもたなければ商品を成立させえないからである。また理想的な自己への願望とは、実際には、それを見てくれる他者の視線に支えられているものなのである。が、セミナーでは、自己の転移先としての他者を意識の上では断ち切ることで、この原初的な他者依存を意識の上で排除してしまう。

 してそのことで、心理療法のプロセスで起こるはずの、他者の失墜によって自我の虚構性を認識するという回路を断ち切ってしまうだけではなく、自我の虚構性を認識する上で、支えとなる他者を現実において切断してしまう。

カタツムリと、今日のうたたねと、NHK公式 「取材ノート」、はじめますと、【なぜなら他者への怖れは他者への欲望から来るのであり、そのことを知ることなしに本来的にこの怖れは克服できないからである。これに対し、セミナーでは、怖れを生んでいる自身の欲望そのものについては否認したまま、怖れのみを排除する。】

 

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 今日も湿度が高かったですね......。

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  今日はお天気が悪かったので、音楽を楽しんだり、ドライブしたりで、ゆっくりまったり過ごしました。

 なんか大きいものと小さい物の役割が変わってきたような感じが、肌感覚で分かるようになってきました(笑)。

 

 今日の講義はゲストさんがおられ、下記に少し関係のある方でしたので、少し前のですがアップさせて頂きました。でも何でもかんでもデジタルとかネットなんでしょうか?繰り返しますが、東京オリンピックのロゴ問題でもあったように、本当に創作に没頭していたら、ネットにあげる時間があれば、創作するでしょうね。ネットが社会の全てではないのに、ネットだけ見て物事を判断すると言うのは何か違う気がします。


 

  怖いほど核心に迫っていきますね!樫村先生を知っている方が身近におられるので、是非教えを請いたいです。そのためにももっと勉強しないといけませんね!

2 「他者征服」を支える転移共同体
  〜こで交流分析のエンプティーチェアー本来のやり方との比較を行い、特にセミナーにおけるこの実践の事後処理の相違においてその問題点を確認しておこう。

 来の交流分析のエンプティーチェアーの技法では、幼児関係に戻って体験されたことをもう一度大人になって解釈し直す契機がある。子どものとき恐かった親の今の見えかたとのちがを認知的に経験しその違いを知的に分析していく。

 こでは、被分析者はもう一度椅子を(子どもの椅子からアダルトの状態の椅子に)座り直して、そこでの経験を分析し直し、過去と現在の感情の相違そのものを分析対象とする。

 いうのも、解放経験を味わってもそれは単に一時的な経験に過ぎず、それだけではその抑圧をコントロールすることは不可能なばかりか、そのような経験は自我に不安を与え揺り戻しが必ず起こり、無意識によってすぐに打ち消されるものとなるからである。

 れゆえ過去の恐怖などについて徹底的に想起し両者の振り子をいったり来たりしながら、起こっていること自体を分析し認識していく必要がある。このような対象化は、他者への恐怖と他者依存、他者への敵意と愛が両価的に存在することを認識可能にするものである。この両価性の認識は重要である。

 ぜなら他者への怖れは他者への欲望から来るのであり、そのことを知ることなしに本来的にこの怖れは克服できないからである。これに対し、セミナーでは、怖れを生んでいる自身の欲望そのものについては否認したまま、怖れのみを排除する。