うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、【患者が苦痛な結末に耐えることができるなら、悼み悲しむさまざまな段階をワークスルーすることができ、最終的には成長による進歩と、その結果としての豊かさを享受することができるようになる。】

 

f:id:ka-gu:20191006203943j:plain

 一日のスタートは、夜勤さんの体操から始まりました!やっぱり休みは嬉しそうですね!

f:id:ka-gu:20191006203757j:plainf:id:ka-gu:20191006203815j:plainf:id:ka-gu:20191006203858j:plain

f:id:ka-gu:20191006204013j:plainf:id:ka-gu:20191006204033j:plain

 前日からショート利用の方々と、ホームの帰宅されていない方々と外食に行きました!食事も楽しみの一つですね!お昼前からショートに入られた方は、別行動になり、2班に今日は別れました。みなさん好きな物を注文されましたが、たくちゃんは、なんとサーロインステーキセット......。価格はびっくりするほどではありませんでした(笑)。

f:id:ka-gu:20191006204553j:plainf:id:ka-gu:20191006204540j:plainf:id:ka-gu:20191006204626j:plainf:id:ka-gu:20191006204610j:plain

戻って来てから、グループをシャッフルして、池ノ原にお薄を頂きに行きました。

やはり、こちらに来ると、皆さん静かになります。

 

 シュタイナーもこれで一区切りになります。次回からはオグデンに入ります。

下記は、この本の総括のようにも見えますが、個人的に皆藤先生の本に出て来た、河合隼雄先生の『人は死ぬほどの体験をしないと変れない』が、頭を過ぎりました。どうやって、心的外傷にならないように、ワークスルーできるのか?を考えるのが自分たちの仕事でした。

 臨床にも、現場にも魔法は通用しないので、ただただ、毎日真剣に仕事に向き合うことが、一番大切なことだと、今日も反省しました。

 

 

 ~私が論じようとしているのは、この〔喪失を〕悼み悲しむこととメランコリーとの葛藤こそが、人生において、分析においても決定的に重要なものであり、現状がそのまま維持できなくなったときに常に激烈なものとなる、ということである。 

 そしてそれは多くの場合、成長が進み、新たに現実を判断できる能力を患者が得たときに生じる。成長し、統合が進むと現実認識は拡大する。その結果、喪失に関わる葛藤に向き合い、ワークスルーし、理解し始めることが可能となる。

  この体験は万能感を放棄し、喪失に向き合うことを伴うため、その精神的プロセスには、実際に死別に直面し残されたひとのこころの中で起こるプロセスと共通するものが多い。死別体験と同じく、分析的にこころが変わっていけるかどうかは、喪失という現実に、後悔、自責、罪悪感を伴いながら向き合うことができるかどうかにかかっている。

 患者が苦痛な結末に耐えることができるなら、悼み悲しむさまざまな段階をワークスルーすることができ、最終的には成長による進歩と、その結果としての豊かさを享受することができるようになる。

 

 

 

 

昨夜のうたたねと、アイデンティティがビジネスに落とし込まれていますと、【あなたの主な関心が「彼らとの病いとの間に起きている葛藤つまり病いの体験」を助けようとすることにあると分かれば、彼らは応えてくれます。】

 

f:id:ka-gu:20191005174657j:plainf:id:ka-gu:20191005174643j:plainf:id:ka-gu:20191005174738j:plain

 昨夜は夜勤でした!食後水分補給で、アクエリアスをいつもはいのうえっちが入れてくれるのですが、今日は、たっくんが入れてくれました!涼しくなってきたので、コップ半分にしていましたが、たっぷり.......。

 いのうえっちは、食堂の入り口で急にストレッチを始めました!毎日付き合ってあげたいけれど、時間がないので申し訳ないです。

 音楽やボール遊びで、ゲラゲラ一日が終わりました!何もないのが一番ですね!

 

 

 

 夜勤明け、一睡もしていないのに(笑)、なぜか眠くなく(笑)、でもなにもする気も起きず(笑)、取り敢えずギター弾いて午前中過ごしたら少し眠くなり(笑)、ソファで一瞬寝てました。 展示作品のキャプションとか、ワークショップの見本を作らないといけないし、給与計算も後、打ち込むだけでしたが、間違えそうなので(笑)やめておきました。 ボーっとしながらネットサーフィンしていたら、他のニュースやコラムの中から下記に到達しました。少し古い物ですが、油井さんの下記の言葉に、魂が揺さぶられました!アイデンティティがビジネスに落とし込まれているって、他の人には出来ないことではないでしょうか?でも、トレンドは消化しやすいようにアレンジされて消費されて、終わりを迎えますので、アイデンティティがビジネスに落とし込まれているっていうのは、自分の中でのアイデンティティは不動なものという感覚があったので、足元をすくわれてしまいました。この半年を掛けて、自分のアイデンティティを探しに故郷である大阪の和泉市に何回か足を運びましたが、アイデンティティというものは、無理に探すものではないなと言うのが、分かったばかりなので、初心者に応用をしろ!と言われている気がしてしまったのかも知れませんね(笑)。自分は知識もなく、何事も中途半端なので、他の方よりも一つのことを為すのに数倍もの時間が必要ですので、これまた大変な言葉を見つけてしまいましたね.......。

『一方で米国企業は、自分たちのビジネスをコンセプトから「デザイン」している。たとえばアップルから出された製品は、どんなものを手に取っても「これはアップルがつくったものだ」とわかる。アイデンティティがビジネスに落とし込まれています。』

 下記を読ませて頂くと、やっぱり地頭が大切なんだと思いました。

 

 今回で暫くは皆藤先生からは離れさせて頂きますが、皆藤先生の言葉も、本当に臨床・現場に向かっているからこそ発することができる言葉だと思われるし、そういう方の言葉は、本当に重い。糖尿病は不治の病と見立てて書いておられますが、障がいと病気の違いは治るか、治らないか?との視点からみると、下記は障がいをお持ちの方々にも当てはまるのではないでしょうか?先日の、死んでいくものには分かるというのと同じようにも感じました。現場を知らなくて、電話や言葉だけで仕事をしている方の言葉には、心打たれたことがありません。でも、言葉を巧みに操る輩が、世間で一番大きな顔していますね(笑)。それを聴いて信じてしまう方々も、結局は現場を知らないからでしょうか?

 

第6章 糖尿病者の語り
1 事例「糖尿病を生きる女性」

  ~あなたが慢性の病いを生きる患者さんたちに出会うとが彼らはたちまちあなたが何者なのか、そして、あなたが彼らの病いを本気で助けたいと思っているのかということに感覚的・直観的に気づくものです。その気づきによって彼らは関係を作るのです。

 …あなたの姿勢が彼らを助けようとしていることを意味しているのか、あなたが病いの体験を抱えて生きている彼らを助けたいと思っているのか、そのことが分かればすぐに彼らは時間を重ね、関係を重ね、あなたに語ってくれます。

 …あなたの主な関心が「彼らとの病いとの間に起きている葛藤つまり病いの体験」を助けようとすることにあると分かれば、彼らは応えてくれます。

 もし、あなたがただ「彼ら」に向けてだけ話していると感じたならば、彼らは同じようには応えてくれません。

呼吸商と、【先に述べたように食べることは生死の根源にある営み、つまり「いのち」なのであるが、現代人はその食事を栄養素に転換させて数字で表現しようとする。】

 

f:id:ka-gu:20191003174319j:plain

 

きれいな夕焼けでしたが、こちらの方向から台風が来ていました。明け方までこの地方では強い雨が降っていましたが、まだましな方でしょうか?

 昨日は休みでしたが、急な支援があり、夕方入浴介助だけやらせて頂きました。

 

 

 

 下記は、皆藤先生の続きですが、数字というのはあてにならない時もありますね。糖尿病の方については、医療関係者ではないので触れる事は出来ませんが、痩せないとよく言われる方の食事や間食の量を見ていると、半端ない......。数字的に簡単に言えば、摂取カロリーと消費との差なので、摂取を減らすか、消費をふやすかしかないのですが、下記の様なストレス社会では、自分も含めてやけ食いに近くなる時もあります。胃の中に食べ物を入れることによって、精神が落ち着くというのは、良く知られている事ですね........。

 管理栄養士の試験問題では、その辺のことが出ますが、化学を知らなければ理解が難しい問題です。呼吸商ですね!

 

http://www.soiken.info/clinical/area02/img/content03_title.jpg

 

(3)食事療法の基本姿勢
  ~現代では、情報は瞬時に世界を駆け抜ける。このような時代では、余裕をもって時間を生きることが困難である。情報を適宜取捨選択して処理しなければならない現代人のストレスは計り知れない。

 医療者の心理的疲弊に対するケアの必要性も強調されてきている。家族が食卓を囲み、手作りの料理を味わいながらひとときを過ごした時代は遠い過去のことではないだろうか。家族団欒ということばは現代においては死語に近い。 

  また、現代は飽食の時代である。インターネット上では美食情報が氾濫し、そうした情報を手がかりに料理店に足を運び、食べることでストレスを発散させている

  こうしたことの一方で、現代は空前の健康食ブームでもある。先に述べたように食べることは生死の根源にある営み、つまり「いのち」なのであるが、現代人はその食事を栄養素に転換させて数字で表現しようとする。

そして、その数字を伝えるだけの栄養指導に陥る危険性が、現代という時代には背景として潜在している。

『つつんで、ひらいて』と、【しかし、ただひとつ言えることがあるとすれば、それは患者の側から病いを見る視点をもつことであろう。】

https://www.japandesign.ne.jp/wp/wp-content/uploads/2019/10/56edf32ee7f67f816960db46e15067ac-840x475.png

 装丁家菊地信義に迫るドキュメンタリー映画『つつんで、ひらいて』が12月公開と、ジャパンデザインネットさんからのメルマガに出ていました。予告編を見ると、みたくなりました。

https://www.japandesign.ne.jp/news/2019/10/49358/

youtu.be

 

 

 今日は、早番でした。新しい職員さんも今日から正式に来てくれ、事務的な引継ぎをさせて頂きました。自分は給与計算に入りましたが、終わる予定が終わりませんでした(笑)。今日はお客さんとかで、甘い物を沢山頂きました.....。断れば良いものを(笑)、甘党なので中々断れず.......。

 

 

 下記は、皆藤先生の続きですが、日々、きちんと支援していれば、お互いがお互いに感謝の思いが湧くのも分かります。支援させて頂く側も、沢山の学びを頂けるし、本当に感謝しかありません。日々を知らない方々は、平気で色々言って(笑)、現場の人間をバカにすることにしか興味がないようですが(笑)、そんな輩には下記の様な状況とは縁がなさそうですね。

 自分は、左翼でも、右翼でもありませんが、現場の人間の日々の努力は(勿論きちんと支援している方々の)、もっと認められても良いのでは?と思い、何とか現場の人間の地位向上をと、こちらも日々考え続けています。

 皆藤先生も臨床の人です!現場の人です!フロイトもクラインもウィニコットサリヴァンも、現場の人です。福祉だけなんで現場の人の地位が低いのでしょうか?

 

 

第3部 糖尿病を生きる

第5章 糖尿病といった病い
1 医学と医療学


 ~先に述べた対談で村上陽一郎は、故日野原重明医師の話を取り上げて語る。


 医学としては何もすることがなくなった末期の患者さんに対してで最期の数時間をベッドのかたわらで手を握ってやっていたら、患者さんが目を開いて、「先生、ありがとうございました」といって息を引き取った。

 


 これを読んで、最期は数時間、ベッドサイドで患者の手を握っていればかならず患者に感謝されると思うひとはどうかしている。そのような感謝が生まれるまでに、そこには、たしかに、「生きた関係」がなければならない。

 それでは、どうすれば患者との間に「生きた関係」を築くことでもできるのであろうか。そこに方法論はない。

 しかし、ただひとつ言えることがあるとすれば、それは患者の側から病いを見る視点をもつことであろう。患者が何を考えているのかと考えてみるこころの視線をもつことであろう。

昨日の夜勤と、病院の再編検討と、【ひとりひとりの人生の語り・傾聴は、ふたりがいのちのときをともに刻むことであり、それはいのちを継承していくことなのである。】


f:id:ka-gu:20191001152728j:plainf:id:ka-gu:20191001152744j:plainf:id:ka-gu:20191001152813j:plain

 昨夜は、夜勤でした。いつものうたたねでした!いつもと同じというのは、素晴らしいことですね!ショートの方とも音楽を楽しみました!ボールで遊んだり、マッサージ器を当てたりして、寝るまで過ごされていました。

 

 

 今日は、碧南から副理事長が来る日だったので、眠らずにお昼をご一緒させて頂きました。先日ニュースでやっていた上記の話になり、福祉もその内淘汰されていく(既にされている分野もありますが)ので、そのつもりで日々考えながらやっていかないといけないとの指摘を受け、まさしくその通りだと思いました。障がい福祉の方もおそらく近いうちに1割負担が出て来るかも知れないので、お金を支払ってでも受けたい支援になって行くにはどうして行けば良いのか?現場でみんなと考えて行こうと思っています。お金も必要ですし、結局はお金持ちしか生き残れないなんて嫌なので、ソフト面で生き残れるようにしたいと、痛切に感じるこの頃です。

 それには、下記のようなことも必須ですね!皆藤先生からの引用です。

 

 

 

3,あばかれる生

 ~クライマンはわたしに、生死のぎりぎりのところで生きているひとは、自分の話をわかってくれるひとかそうでないかをたちまちのうちに見分けると語ったが、これは心理臨床家の在りよう・姿勢のことを指摘した例である。

  心理臨床家は語り手をあばくのではなく、そのひとの語り口、ひとりひとりの人生の語りを、敬意をもって謙虚に聴くことが必要なのである。

  心理臨床の場を訪れる語り手の語りは尊い。簡単に言い切ってしまったが、この在りようは、ひとつのモデルを手にした心理臨床家にはそうとうに困難なことではないかと、わたしは密かに感じている。心理臨床家は語りを聴いたとき、その語り手のいのちのときを心理臨床の自身も生きていることを感じとらねばならない。それが、「生きる」からの視線で語りを聴くことであり、語り手の人生の旅の同伴者となることである。

「縁」あって生まれた心理臨床の場はコスモス(宇宙)となり、ふたりの道行きはコスモロジー(この世界全体)を生きる旅となる。それはまた、いのちの継承でもある。ひとりひとりの人生の語り・傾聴は、ふたりがいのちのときをともに刻むことであり、それはいのちを継承していくことなのである。

今日の日中と、【 臨床経験を積めば積むほど、面接室で発見されるまったく新しいものなど何もないと感じやすくなります。しかしこの態度は、まことに危険なものです。】

 

f:id:ka-gu:20190929210906j:plainf:id:ka-gu:20190929210920j:plainf:id:ka-gu:20190929210932j:plain

 今日は、遅番でした。職員さんが沢山おられたので、自分はドライブ班に!

最後は池ノ原でお薄を頂いて戻りました。今日のお薄は、薄かったです.......。

 

 

 皆藤先生をしばらく続けたいと思いましたので、アップさせて頂きます。

 下記は、当たり前のことですが、当たり前のことが、当たり前に出来ていないのが現実です。プロなら当たり前のことを当たり前に出来た上に、その次を考えていけるはずです。応用が出来ないのなら、プロとは言えませんね。経験は、双方が積み重ねていくものなので、昨日それが上手くいったから今日もうまくいくとは限らないし、経験や体験してお互いの関係性がどう変わっていくかを見れるようにならないといけません。

 

4.理論の貢献と他の臨床経験の貢献
  限られた経験しか頼れないと知っている訓練中の分析家に対して、訓練された分析家は、自分の理解にあまりにも自信過剰になっているときに気をつけるべきです。

 臨床経験を積めば積むほど、面接室で発見されるまったく新しいものなど何もないと感じやすくなります。しかしこの態度は、まことに危険なものです。

 というのも、個人はいつも新しいのですし、また患者に洞察がもっと意味を持つのは、普通その洞察がそれぞれの人物に新たに発見される洞察であるからなのです。

SA・PAのおもしろいものと、あゆみ野と、故郷の朝焼けと、【母性は強い。強いがゆえにまた葛藤も深い。しかし、その母性がこの心理臨床を支えている。】

f:id:ka-gu:20190926100811j:plainf:id:ka-gu:20190926100859j:plainf:id:ka-gu:20190926100837j:plain

 大阪に向かう時、帰る時、休憩に立ち寄る、PA・SAで売っている物を見るのが大好きです(笑)。地域に根差したものが沢山あって(他の地域の物のありますが)、笑わせてくれ、元気になります。今回も沢山笑わせて頂きました。

f:id:ka-gu:20190928063304j:plainf:id:ka-gu:20190928063332j:plain

 いつも貧乏旅行になるので(笑)、一泊目は、草津PA車中泊(笑)、二日目はお願いして、和泉市のホテルで一泊させて頂きました。ホテルの近くに久保惣記念美術館がありました。道路を挟んで、ららぽーとがあり、夕食はフードコートの大阪王将で(笑)頂き、島村楽器さんがあったので覗かせて頂くと、お正月にプロの方から頂いた弦が売っていました。いつもおいているのか?って聞いてみたら、このゲージなら常時置いているとのことなので、こちらに来た時に買ってもらえるよう、親分に相談しようと思っていますが、却下でしょうか?(笑)。

 ナットとブリッジが象牙と、特殊なプラスティック?の素材で出来た物の引き比べをしませんか?みたいな企画が島村楽器さんであったので、お願いして弾かせて頂きましたが、象牙の方の弦が錆びていて、効果があまりわかりませんでしたが、5万円くらいの島村楽器さんのブランドのギターが、よく鳴るのにはびっくりしました。中国製との事ですが、大阪に行く前にヤマハでしたか?中国の工場の動画を見たばかりでしたので、ワインだけでなく、ギターも値段だけでは判断できないなとも思いました。落ちついた音ではなかったですが、路上ライブでは、生音で勝負できそうなくらいの音量でした。

f:id:ka-gu:20190927054630j:plain

 博物館さんと打ち合わせに行く日は良いお天気で、きれいな故郷の朝焼けを見る事が出来ました。

f:id:ka-gu:20190928063352j:plain

 学芸員さんも良い方で、話もスムーズに進み、ワークショップの話も大体決まり後は日にちだけです。会期内のどこかの土日なので、限定はされますが、楽しみです。

 フライヤーやはがきも博物館さんが作って下さるとの事。感謝しかありません。あっという間に月日が流れてしまうので、あっという間に会期が来ると思われます。故郷での小さな作品展ですが、自分のアイデンティティはアートと音楽だと思うので、確信をもって、やっと一歩進める事ができます。何年か後には、久保惣記念美術館さんでの作品展(本館で)が出来るようになりたいなと思いました。今されている図録も頂きました。考古学が大好きなので、読み入ってしまいました。日本海側は大陸に近いので、太古から繁栄していたのでしょうか?出雲大社ももとは大規模だったようですし、意外と卑弥呼日本海側にいたのかも?って思ってしまいました。

 因みに泊まったホテルや、ららぽーとさんがある住所はあゆみ野でした。

 

 

 アップは、皆藤先生からです。下記は、見事な描写だと思われます。しなやかな母性をしなやかな支援と置き換えても良いように思われますし、そうあるべきではないでしょうか?ステレオタイプでは、何も進展しません。

 

1 事例「考える葦」再考(2)母親との心理臨床の場
 ~母性は強い。強いがゆえにまた葛藤も深い。しかし、その母性がこの心理臨床を支えている。

   わたしが感じた「微かなてごたえ」とは、この母性が「しなやかな母性」へと変容していく感覚であった。それが、娘の様子を語る母親のその語りに、娘の怒りや嘆きではなく生きる意思を感じさせたからである。

  しなやかな母性が、娘に生きる意思を吹き込んでいる。そのような手応えを感じていた。

久保惣記念美術館と、【しかし、そうであったとしても、そのひとの在りようは、「病者」なのではなく「生活者」なのである。このことが根本になければならない。】

f:id:ka-gu:20190926155841j:plainf:id:ka-gu:20190926144123j:plain

 

 今日は、白柳先生の整体を受けたり、私用を済ませて、宿に向かっていたら、久保惣記念美術館との標識?が見えたので、その方向に向かってました。そう言えば、伊勢物語美術書を見ていると、所蔵名に久保惣記念美術館と書いていたのを思い出しました。見たかったお茶室は、先の大阪であった地震のために、見ることができないとのことでしたが、手前にあった、小さなお茶室の方が、利休のお茶室のようでした。奥の立派なお茶室の資料を見せて頂きましたが、書院みたいで、せっかく露地は寂が利いていて、丁寧に打ち水もなされていたので、小さなお茶室を拝見させて頂きたかったです。でも、故郷にこんな素晴らしい美術館があるのは、素直に嬉しいですね。明日は故郷の博物館さんに行き、フライヤー等の打ち合わせをさせて頂きます。フライヤー等が出来たら、この美術館にも置かせて頂けるのでしょうか?置かせて頂けたら嬉しいですね。

 

 用事の隙間に(笑)、中動態の世界を読ませて頂きましたが、やはり難しい……。でも、わからないなりに(笑)、少し吸収させて頂いているような気分にさせて頂いています(笑)。

 

 下記は、昨日に引き続き皆藤先生からです。

生活者というのは、福祉の現場でもしかりですね。きちんと生活が出来ているというのが、一番根底にあり、それがなくては、穏やかに過ごすことはできません。それは、障がいの有無関係なく、当たり前のことですが、日中ばかりがクローズアップされてしまいます。きちんと食事が摂れ、きちんと睡眠がとれ、きちんと清潔に保て、きちんと排泄があるという、ごくごく当たり前のことがあっての日中ですが、生活を支援させて頂いている人間が低く見られるのはなぜだか、分かりません。

皆藤先生の本を読ませて頂いていると、余計にそう思ってしまうのは、自分だけでしょうか?

 またまた出先からのアップなので、写真の調整がうまく出来ていませんが、帰宅し次第直しますね。

 

第2部 事例「考える葦」

第4章「考える葦」再考
はじめに
 ~心理療法がこれまで光を当ててきたのは、「症状」や「問題行動」というフィルターを通した人間理解である。それは「くらし」に光を当てるものではない。それは苦悩の要因の探照灯にすぎない。もちろん、ひとつの体系を成し、人間のこころの理解に大きく貢献してきたことは事実である。

 ただ、わたしという心理臨床家は、そこに欠落感を抱いてしまうのである。このことは、否定しようがなかった。わたしは、心理臨床を心理臨床的次元のみで理解することが息苦しかった。素朴に、心理臨床の場に訪れるひとは、ひととして生きる「生活者」であって、治療を施さねばならない「病者」にかぎっていない。そう感じるようになっていたのである。治療の必要性があるのならば病院やクリニックへの受診だろう。もちろん、心理臨床の場には、医療機関で処方された薬を服薬しているひともいる。

 しかし、そうであったとしても、そのひとの在りようは、「病者」なのではなく「生活者」なのである。このことが根本になければならない。そう考えるようになっていた。~

中動態の世界と、【これは河合隼雄がわたしに向けて語ったことでもあるが、ひとりの人間が変わるというのは、死ぬほどの体験が必要である。】

 

 

f:id:ka-gu:20190925194244j:plain

 皆藤先生の本を読み終え、今日から『中動態の世界』に入りましたが、哲学の世界ですね。自分には難しく感じています。難しい言葉は使われてはいませんが、自分の頭の中では、なんだかひとつにまとまりませんが、それが哲学といえばそうなのか知れませんね。

 

 下記は、順番がちぐはぐになりますが、皆藤先生の本からのアップです。自分にとっての1冊目の皆藤先生の本の中にあったケースのその後ですが、非常に興味深く読ませて頂きました。

 下記の河合隼雄先生の言葉も、胸に刺さりました。

 リスカオーバードーズ等を繰り返すのは、死ぬほどの体験なのかも知れませんね……。河合隼雄先生は、めちゃくちゃ個人的に(笑)、野球の巨人みたいで、ビートルズと同じく(笑)、好きになれませんでしたが(笑)、皆藤先生の本を通じて、改めてすごい方だったんだと、反省して河合隼雄先生の本を全て読ませて頂きたくなりました。皆藤先生が下記のケースを発表した時の、河合隼雄先生と一緒に

写っている写真の顔を見て、すごく思慮深い方だったんだとも感じました。

 

 今は、大阪に向かっている最中なので、端末からのアップです。宿泊代を1日節約するために(笑)、名神高速のどこかのサービスエリアで仮眠して大阪入りします。明日は私用で、明後日は博物館さんとフライヤーの打ち合わせをさせて頂きます。ゆっくりはできず(笑)、用事が済み次第、戻ります。

 

第2部 事例「考える葦」

第4章「考える葦」再考

(3)樹との出会いと道行き 

 これは河合隼雄がわたしに向けて語ったことでもあるが、ひとりの人間が変わるというのは、死ぬほどの体験が必要である。

 樹は、「縁」によってもたらされた心理臨床の場で、いのちのときを刻みながら、発作への不安から自身の行動を制限しようとする周囲との葛藤を生き、自分を病気としか診ようとしない医療に自身も意思で決別し、そうして発作を抱えて生きていく覚悟をした。

 わたしは、樹との道行きのなか、幾度となく不安で怯え右往左往する自分のこころを感じながら、心理臨床の場でたしかなまなざしで真っ直ぐにわたしを見つめる樹の視線とその語りに救われる想いを抱いて、道行きをともにしてきた。それこそが、樹と出会った「縁」を生きるわたしであり、冒頭に述べたわたしの心理臨床観をいのちがけで生きようとした姿であった。

「最後の最後はクライエントを信じることがたいせつだ」との河合隼雄の声を幾度となくこだました道行きであった。

作品のデーターと、【心理臨床は、出会いを生きる「いのち」の営みである。】

f:id:ka-gu:20190924202233j:plain

 昨日写して頂いた作品のデーターです。近直、大阪に行くので博物館の学芸員さんと時間が合えば、お渡ししてこようと思っています。JPEGの軽いものと、重いものと、TIFF(いい加減に効いていたのでGIFと言われていると思ってましたが....)という、初めてしった画像ファイルがあり、普通のパソコンでは、開かないか時間がかかるとのことで、挑戦してみましたが、諦めました.....。業者さん用の物なのでしょうか?ネットで色々調べてみましたが、下記が一番分かり易かったので、軽く引用させて頂きました。

開き方も書いていましたが、仕事用のパソコンなので、何かあってからでは遅いかな?と止めて置きました。

 

 

tif(ティフ)」は、TIFF形式の画像ファイルにつく拡張子です。

 TIFFTag Image File Formatの略であり、windowsmacに関わらず読み書き可能な画像ファイル。

 画像ファイルには、ほかにも

   JPEG/JPG(.jpeg/.jpg)

  GIF(.gif)

  BMP(.bmp

  PNG(.png

  PICT(.pict)

 などがありますが、TIFF(.tif)もその一つです。

 

 

 夜勤明け、いつものルーチンを(笑)こなすために、ファミマでコーヒーを飲みながら、皆藤章先生の本を読み終えました。明日は復習させて頂きます。

 東畑先生の本を読んで、涙が流れたのは、皆藤先生の影響ですね!皆藤先生の本も、専門家相手に書かれている本なのになぜか涙が流れて来ます。

 二冊買ったもう一つは違う方でどちらかと言うと哲学的な本なので、それを読ませて頂いてから、クラインマンの、皆藤先生が訳された本を読ませて頂こうと思っています。高価になってしまっている本は、暫くは諦めますが.......。

 昨日に引き続き皆藤先生の本からのアップです。福祉は何で現場が一番下に扱われるのでしょうか?イギリスの子どもの精神分析家の仕事の中にも、下の世話はあると、他の本に書かれていましたので、学習量(偉そうな、違う方もたくさん知っていますが、相談支援が、自分たちはオーケストラの指揮者だ!とほざいていますが、ヘルパーしかやったことが無い方に現場の何が分かるのか?皆藤先生の本に書かれているように暮らしを知らなければまともな支援が出来ない事も、そういう方たちには想像もできないのでしょうね)の違いでしょうか?立派な学歴・経歴がなくても、学ぶ方法はいくらでもあります。その努力をしないから馬鹿にされるのでしょうか?排尿や排便には沢山の情報がありますし、睡眠もそうです。昨日のショートさん達は、全員無呼吸など、睡眠時に問題を抱えておられる方々だったので、気道確保など、その方が一番良眠できる姿勢を取るようにして、朝まで起きる事無く眠って頂けました。皆藤先生が言われる「いのち」の営みを身近にみることができる時間帯でもあります。ハリー・スタック・サリバンは、うとうとしているその姿が、授乳していた時の姿だと言っていたと記憶しています。

 

 傾聴も受容も共感も人間理解も、やり方次第ですね。やはり人間同士が理解しあえるには、魔法なんてなく、時間だけでもなくて、本当にお互いがお互いの事を見ているという事がなければ理解は難しいと、現場にいてそう思います。

 

第2章 心理臨床の感性おわりに
 心理臨床の場にもたらされるもの。それを感じとる力が心理臨床家には不可欠である。

 心理臨床がひととひととの関わり合いの場に登場して以来、その力は「傾聴」「受容」「共感」「人間理解」などといったタームで表現され、それを身につけるためにさまざまな訓練が試行錯誤され産み出されてきた。けれどもそれらは、机上は理解という脈絡に絡め取られていった。次第に、そうしたタームは軽々に扱われ、ことばに込められた真意は置き去りにされていった。

 こうしたことの背景には時代性も大きく関わっていた。科学的合理性は、ひとが生きる複雑な在りようをシンプルにし、「生きる」をモデル化していった。そのようにして、心理臨床の場にもたらされるものを感じ取る力も、タームとしては理解可能だが、その実践はきわめて困難になっていった。それどころか、心理臨床そのものも理解の次元に居場所を見つけたかのような現状である。
 心理臨床は、出会いを生きる「いのち」の営みである。そう冒頭に述べた。それはまた、自然との関わり合いからもたらされる「いのち」を知る営みでもあるとも述べた。営みの視線から「生きる」を取り戻したい。それがわたしの真意である。